T O P 駒ヶ根への思い 駒ヶ根の明日を語る会 プロフィール 伊藤ゆうぞうの仕事
スケジュール
美しい自然や産業集積、伝統の農林業とさまざまな宝を持つ駒ヶ根市。
リニア新幹線開通や三遠南信道整備、国体開催が重なる2027年はさらに飛躍するチャンスです。市民が誇りをもって語り、
日本中、世界中の人が行ってみたい、住んでみたいと思う街にするため、5つの柱で取り組みます。霞が関・永田町で取材し
全国各地の地域づくりを見てきた経験を生かし、駒ヶ根新時代を市民のみなさんとともに開きます。
ご支援ありがとうございました。
伊藤祐三新市長の初登庁の動画はこちらから▶
【伊藤ゆうぞう動画ライブラリー】
▶ゆうぞう演説(特別編)「財政状況が10年間変わらない駒ヶ根市、全国ワースト5位」
▶ゆうぞう演説(1)「100回語り合う」
▶ゆうぞう演説(2)「駒ヶ根ルネサンス」 
▶ゆうぞう演説(3)「健康先進都市〜KOMAGANEへ」
▶ゆうぞう演説(4)「粘り強く財政再建へ」
  伊藤ゆうぞう
 
ごあいさつ
「駒ケ根の時計を動かそう」
北海道から沖縄まで、500近くの地域づくりの現場をこの目で見てきました。
知恵を絞り、離島や山村という厳しい環境をはね返し、成果を上げた人たちと出会いました。
豊かな自然や、素晴らしい産業、文化に恵まれた駒ケ根市は、もっともっとできるはずです。
各地で見てきた街づくりのさまざまな創意と工夫を故郷のために役立てたい。そう決意しました。
駒ケ根で、日本中の人脈とアイデアを結集し、オンリーワンの街づくりに挑戦します!
                                      伊藤祐三
 
伊藤ゆうぞう後援会
駒ヶ根市赤穂8777-28 MAIL:info@itoyuzo.com
   駒ヶ根への思い
伊藤ゆうぞう これからの地域づくりの鍵は、駒ヶ根を考える人たちを増やすことです。
「KOMAGANE」への思いを寄せる人の輪を、日本中、世界中に広げる仕組みをつくります。
伊藤ゆうぞうの考え方①
町のサポーターを増やそう!
人口が減っても駒ヶ根市に関わる人々は増やせます。住む人とともに考えるサポーターを増やし、駒ヶ根をもっともっと元気にするアイディアを出し合いましょう。
伊藤ゆうぞうの考え方②
町全体をキャンパスにしよう!
 自然や農林業、商工業、JICAやJOCA、2つの高校と1つの大学。この宝をつなげて駒ヶ根の未来を考えるキャンパスにしましょう。学び、体験し、論議する街をつくりましょう。
   スケジュール
   駒ヶ根の明日を語る会
「地域づくり連続講座」を毎月、開催
各地で活躍する多彩な人を招く

 有志でつくる「駒ケ根の明日を語る会」(代表・伊藤祐三前共同通信論説委員)は、7月から12月まで毎月1回、「地域づくり連続講座」を開きます。代表の伊藤が、これまでの取材を通して知り合った地域づくりの仲間を招き、意見交換をしながら駒ケ根を輝かせるヒントを探ろうという狙いです。駒ケ根市は自然や産業、人、教育機関などすばらしい宝に恵まれています。もっと魅力をたかめていくには、どんな取り組みが効果的なのか。各地で活動を続ける多彩な人の考えや工夫を知ることは、大いに役に立つはずです。各回とも無料、予約も不要です。ぜひ、多くの方の参加をお待ちしています。
◇これまでに固まっている講座は次の通りです。
☆第1回7月30日18時~20時「子ども食堂のこれから」
     (駒ケ根駅前アルパ3階多目的ホール)
     栗林知絵子・豊島WAKUWAKUネットワーク理事長(東京)
     藤波匠・日本総合研究所上席主任研究員
詳報はこちら➡
☆第2回8月26日18時~20時「商店街復活のヒント」
     (駒ケ根駅前アルパ3階多目的ホール)
     高岡はつえ沼垂テラス専務(新潟)
     原雅廣匠の町しもすわあきないプロジェクト(長野)
詳報はこちら➡
☆第3回9月24日18時~20時「若者が担う地域づくり」
     (駒ケ根駅前アルパ3階多目的ホール)
     田中佑樹・農音代表理事(愛媛)
     白戸洋・松本大教授
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☆第4回10月19日(土)14時~16時「地域ブランドの育成」

     (赤穂公民館)
     都竹淳也・飛騨市長(岐阜)

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☆第5回11月26日(火)18時~20時「市民主導の街づくり」
      「市民が担う地域づくり」駒ケ根駅前アルパ3階多目的ホール
       都岐沙羅パートナーズセンター(新潟)
詳報はこちら➡
☆第6回12月16日(月)18時~20時「交流人口を増やす」
      「等身大で行う地域づくり」  駒ケ根駅前アルパ3階多目的ホール
       大桃美代子さん
詳報はこちら➡
   プロフィール 
伊藤祐三(いとう ゆうぞう)
1960年生まれ。
 赤穂小学校、赤穂中学校、伊那北高校を卒業。赤穂小学校では児童会長も務めた。
中央大学法学部卒業後、84年に毎日新聞社に入社。和歌山支局、鳥取支局、大阪本社社会部、同経済部で勤務した。
 93年に共同通信社に移り、経済部で大蔵省(現財務省)や日銀、東京証券取引所などを取材。人口減少をテーマとした編集局企画に携わり、共同通信と地方新聞46紙による合同企画「地域再生」や、地域づくりに挑む団体を表彰する「地域再生大賞」の立ち上げを担当。企画や取材・執筆に取り組むと同時に、地域再生大賞の選考委員として各地の地域づくりの現場をみてきた。

 農林水産省食育推進会議委員。中小企業庁中小企業政策審議会“ちいさな企業”成長本部会員や厚生労働省・地域発!いいもの選定委員会委員、相模女子大非常勤講師なども務めた。

 携わった著書に「リストラ元年 変わる会社」(毎日新聞社)、「人口減少パニック」(PHP出版)、「まちづくりのレシピ」(共同通信社)など。
   伊藤祐三の仕事
「地域再生大賞」
「地域再生 ただいま活動中!」
   アーカイブ
 駒ヶ根の明日を語る会
 ☆第1回7月30日18時~20時「子ども食堂のこれから」


多くの人が参加し、会場はいっぱいになった
(7月30日、駒ヶ根市アルパ)
「駒ケ根の明日を語る会」(代表・伊藤祐三前共同通信論説委員)は、7月30日、駒ケ根市のアルパ3階多目的ホールで、第1回地域づくり連続講座を開きました。子ども食堂の草分けで全国にネットワークを持つ栗林知絵子・豊島WAKUWAKUネットワーク理事長(東京)と、地域づくりの専門家、藤波匠・日本総合研究所主任研究員の2人が登場。それぞれが取り組んできた活動や研究を基に、地域に新たなコミュニティーを築いていく重要さを訴えました。会場を埋めた人たちは、駒ケ根市の未来の手がかりを探ろうと、熱心に耳を傾けました。
 最初に立った栗林さんは、公園で中学3年の子どもと出会ったことをきっかけに、一人きりでご飯を食べたり、勉強につまづいて置き去られたりしている子どもの力になろうと決心しました。地域のみんなで子どもを育てる環境をつくろうと、子ども食堂や学習支援活動を始めた経緯を紹介しました。
こうした活動を通じて、地域の新たなつながりをつくっていくことが重要だと訴えました。
続いて藤波さんは、人口減少や東京圏への一極集中が進む実態を数字を交えて解説しました。人口は経済合理性による影響が強く、人手不足が進み東京圏の企業が若者を囲い込んでいるため、一極集中が一層進んでいるとの見方を示しました。そのうえで、地方の残る若者の雇用環境などを整えることが重要だとして、民間の力を活用して地域づくりに取り組むことが不可欠になってきたと話しました。
地域で子どもを育てる環境をつくろう
☆栗林知絵子・豊島WAKUWAKUネットワーク理事長(東京)

東京・豊島区から来ました。人口28万人もいるが、数年前、消滅可能性都市とされました。子どもが少なく高齢者が多いからだそうです。都会も地方も、再生する新たなつながりを作っていく必要があると思っており、(これからの話は)都会の話ですが、通じるところはあるでしょう。

 私は新潟県長岡市で21歳まで過ごしたました。両親は共働きだったので、帰りが遅ければ近所のおばさんの家でご飯を食べたりして自然豊かな場所で育ちました。今でも長岡は誇りです。

 これまでの取り組みを紹介し、地域のつながりの
    重要さを訴える栗林さん
 21歳になって東京へ来て、子育てが始まりました。課題は、私が育ったような自然が周りにないことでした。豊島区がプレーパークをつくり、遊びに行くようになりました。2003年で、子どもは小学生と幼稚園でした。その公園でいろんな子どもに出会いました。昨日からご飯を食べてないとか、引っ越してくる前はクルマの中で暮らしていたと話す子がいました。昨日もお母さんに殴られたという子もいたんです。私が知らない環境で暮らしている子どもがいることに気がつきました。

そういう子どもと会ううち、段々かわいくなります。でも、福祉の専門家ではないので、できることとしたら一緒にお握りを食べたりすることでした。08年に年越し派遣村のニュースを見て、貧困の問題の厳しさに驚きました。貧困について学ぶようになり、社会のみんなができることを持ち寄ればいいのではないかと思い、日々、子どもたちに関わってきました。
▽「おせっかい」が新たなつながりを生む

 プレーパークに来ている中学3年の男の子から「高校に行けない。先生から都立は無理だといわれた」と聞きました。私はおせっかいな行動に出たんです。その子を家に呼び、うちの子と一緒に勉強する環境をつくりました。その子はお金の心配をしない日はなく、少数点の足し算や分数の意味が分かりませんでした。小さい時からコンビニのご飯を一人で食べていることも分かりました。私が小さい時は、家族だんらんでご飯を食べるのが当たり前でした。しかし、今はコンビニがあり、シングルマザーで忙しければ、少しのお金を出せばご飯が食べられる世の中です。そうした中で、地域のコミュニティーがなくなってきたのではないかと思っています。

 プレーパークで出会った一人の子どもの学習支援をしたことから、一人でご飯を食べている子どもがいることが分かり、小学校の勉強でつまづき、取り残されている子どもがいることも分かりました。厚労省の子どもの貧困率から、困窮する子どもがたくさんいることも分かりました。街の子どもたちをみんなで育てる仕組みをつくろうとできたのが「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」です。ゆるやかにつながって、できることをしようという団体です。みんなでご飯を食べる子ども食堂をつくろう、小学生から来られる無料学習支援をしよう、街の人たちと地域の子どもたちが育つ環境をつくることにしました。

 最初に始めたのは要町の子ども食堂です。きっかけは、この家の山田さんがひとりぼっちになっていたことです。パン屋をしていた奥さんが亡くなり、息子夫婦が移住されました。山田さんは退職したころで、地域とはなかなかつながらないんです。誰からも電話がかかってこなくなり、ご飯を食べる気も新聞を見る気もなくなったというんです。私はおせっかいで、放っておけなくなった。みんなでにぎやかな何かを始めようと声をかけていたら、山田さん自身が、みんなでご飯を食べる子ども食堂をやりたいといいだした。みんなで応援しようと始まった。

 朝のテレビ番組で紹介され、見た主婦たちが動き出しました。うちの地域にも一人でご飯を食べている子がいるかもしれない、私たちも子ども食堂をつくろう。一人ではできないが、2人いれば、とりあえず作ろうと始まります。今では全国に3800カ所に増えた。長野県は、かなり早い時期にネットワークができて、一気に増えました。おせっかいされて、大事にされて育った人たちは、放っておけなくなります。これは持続可能な街づくりではないかと思っています。月2回くらいならいいねと、地域の人たちが集まってきて、新たなコミュニティーができてきました。

 私はもともと、自分の子どもをプレーパークで遊ばせていました。プレーパークは地域にとって大事な公園。だからこそ、いろんな子どもたちに会い、ニーズやウオンツが見えてきた。そこから、学習支援や子ども食堂をつくっていきました。東京のアパートは狭く生活困窮している家庭は、高校生になっても父や母と同じ部屋で寝ています。そうすると、親子けんかをすると子どもたちは外に出ます。繁華街があります。安心して過ごせる場所があったらいいねと、わくわくホームができました。いろんな人たちの声を聞いて、多くの市民がつながり、いろんな支援をつくってきました。

 小さいうちにおせっかいをいっぱいされると、自立につながります。みなさんのお宅のお子さんは、ご飯があってお風呂がある。しかし、今の虐待は0~3歳が一番多いんです。お母さんが孤立することによって、自分の子どもに向かってしまう。これを支援できるのは地域の人しかないと思っています。子ども食堂はいろんな人たちが子どもを大切にする。親だけが子育てしない。そんな意義があるのではと思っています。どこかで子どもとつながり、地域で育てていくことをしています。

 要町子ども食堂には、ご主人が亡くなって一人暮らしになった80代のおばあさんが毎回来ています。高齢者サービスにお招きしたら、元気だからいいといわれました。でも、子どものために子ども食堂にきてほしいというと、喜んで来られましたた。3年以上欠かさず来て、子どもたちにおせっかいをしている。でも、実は、おばあさんの見守りにもなっているんですね。

▽旅行や制服代の援助など多様な支援も

 全国に子ども食堂が広がっています。小児科のお医者さんがお寺でやっていて、300人ぐらい来て交流の場になっているものもあります。郷土料理や季節の料理を体験し、伝承していく場にもなります。煮物を食べたことがないお母さんもいます。関係ができていくなかで、そうしたお母さんも変わります。子どもだけではなく、お母さんも大切にすることによって、こどもはみんなで育てる。お母さんの価値観だけで育てない環境ができるのではないかと思っています。 ある子どもから旅行に行ったことがない。お母さんは仕事だし、カネがないしといいます。ではと、この近くの大鹿村に連れて行っています。乳幼児と一緒に自然体験の場も作っています。 

子ども食堂でつながった人たちが、あるおばあちゃんの入院や自宅での介護を支えたケースもあります。亡くなったおばあちゃんの所へ行き涙を流した子どももいたんです。子ども食堂は、みんなでご飯を食べるだけの取り組みです。しかし、地域の新たなつながりをつくっていくのだと実感しました。

 こうした取り組みを一つの団体がやっても意味がありません。豊島区に子どもたちはいっぱいいますし、みんなが意識を変えていくことが大事です。豊島区では、地域主体の学習支援が17カ所ほどでき、子ども食堂もたくさんできました。マップを作り行政が発信しています。学習支援を始めた大学生もいます。子どもに参考書を紹介したら、金がないから買えないといわれたんです。心を揺さぶられ、自分たちで子ども食堂を始めました。
 行政に、あれしてとは言いません。地域だからできることです。公平性に欠けており、税金でやることではないと思っています。行政はネットワークや事務局をつくり、地域の人たちと交流します。すると、私たちにできることはないかと変わってきます。行政は孤立する親の子どもたちを地域につなぐ職員や困窮する子どもたちをつなぐワーカーを配置した。

     数字やグラフを示し、人口減少や
     東京一極集中を解説する藤波さん
 地域にできること、行政にできることを持ち寄る。子どもは一番弱い存在です。そのためにできたセーフティーネットは、みんなのためになります。誰一人とりこぼさない地域にしようと、官民連携会議も始まりました。こうしたことを豊島区でやっています。ぜひ、この街でも新たなつながりをつくってほしいと思います。
 おせっかいだから、子どもたちのために何だってやります。高校へ行く時に制服代、教科書代をそろえられない親がいました。地域の子なのだから地域でやろうと、企業からお金を集めて、4万円を振り込みではなく、お祝い袋に入れ手渡しで贈っています。さらに、その時に弁護士が来て、困りごとを聞きます。ロータリークラブなどが電子辞書も贈ってくれています。夏休みなどの昼食が大変という話を聞き、フードロスの食材を届けたり、取りに来てもらったりして新たなコミュニティーをつくっています。

民間の力なしに地域の持続は困難
☆藤波匠・日本総合研究所上席主任研究員

 広い範囲で支え手という観点から話をしたいと思います。まず、人口減少の問題です。駒ケ根市の人口推移の見通しをみると、将来的にゆっくりと減っていくことが予測されています。ただ、近隣の市町村と比べると急激に落ちてはいません。飯田市は急速に減少が予測され、岡谷市は2050年ごろには駒ケ根市と同じくらいになってしまいます。これは、人口流出がキーワードになっています。推計した時に駒ケ根市は比較的、人口が転入超過の時期でしたが、今は人口流出が増えており、人口推計が下振れする可能性があるのではとみています。 いずれにせよ地方の多くの市町村が人口減少に見舞われることは間違いありません。

 国が注目しているのは東京一極集中の問題です。3大都市圏の転入超過数をみると、東京圏は1962年に39万人の転入超過でした。金の卵、団塊世代が大挙して入ってきたためです。2018年は13万人ほどでピークの3分の1ですが、ほかの地域はほとんど転出超過ですので、東京一極集中といわれても仕方がありません。しかも、大阪圏と名古屋圏は、ほとんど人口が入っていません。政府は地方創生戦略を2015年につくり、最大の目標が東京圏の転入超過を2020年までにゼロにすることです。今回の見直しで無理としましたが、旗はおろさないとしています。

 なぜ難しいのでしょうか。人口は経済合理性が極めて強いのです。そこで、どれだけの人を養えるかということで決まってしまう現状があります。一人当たりの所得と転入超過の相関をみると、東京は所得が高く転入超過も多い、右肩上がりの関係になっています。例外は沖縄で、所得は低いとされるが、入ってくる人が多いのです。自然や人とのつながりを求める人が多いので経済合理性から離れる傾向にあります。ただ、経済的に豊かな地域に人は流れやすいのです。

 東京の有効求人倍率と全国平均との差をみると、東京は全国平均から跳ね上がっており、人が取れない状況にあります。転入超過を1歳刻みでみると、20歳前後が跳ね上がっている。この数年間で東京の人手不足が厳しくなり、企業が若い人をどんどん採用していることが分かります。企業規模別に人手不足の状況をみると、2009年以降、深刻化していて、中堅、中小が一層深刻になっています。こうしたことから、若い人はどんどん東京を目指す状況にあります。

 駒ケ根市はどうでしょう。もっと人口流出が激しい市町村はあり、そんなに深刻な状況にはありません。どの地域にどれだけ人が出ているかをみると、東京圏や愛知県に流出しています。長野県のほかの市町村や、東京や愛知以外の地域からの流入はあるが、全体では流出超過となっています。ただ、ほかの厳しい状況の市町村からすれば健闘しているといえます。

▽移住促進より地域の若者へ支援を

 各地が移住促進政策をしていて、長野県は移住者が全国1位といわれています。2015年ごろから移住者が増え、今は年間1200~1300人入ってきています。ただ、転入超過の改善はあまり見られていません。転出超過は必ずしも減っていないのです。移住促進は、若い人がいなくなった地域には有効な取り組みだと思います。しかし、結局、東京が一定程度の人数を外から引っ張ってしまいます。ということは、長野県に入ってくる人はほかの地域から来た人と同じです。東京が引っ張ってしまうと、それ以上に多く出している地域があるということです。長野県に入ってきた分は、それ以上に出ている地域からということです。移住促進には、そうした面があります。

 今定着している人たちの活動をもっと円滑に進め、暮らしやすい状況をつくることが何よりも重要です。平均してみると地方から東京へ移る人は、人口比でみると1割。ある世代の追跡調査をすると、30歳ぐらいで移動は固まってしまうので、だいたい1割ぐらいが東京へ転出超過ということになります。地方で生まれた人の9割は、その県で暮らしているという計算です。こういった若者の所得環境や生活環境を改善することが大事です。まず、ここからスタートすべきだ。

 人口減少をある程度受け入れることも必要です。限られた人材の有効活用という意味で、技術革新や新しいテクノロジーを取り入れることが重要になります。コミュニティー維持に行政がこれまで以上にお金を出して支えるべきだという考えもありますが、民間の力を入れないと地域のお持続性はないと考えます。効率性や広域性などを考えると、民間が地域に入っていかないと難しいと思います。

▽担い手を束ねる中間支援組織がの活躍

 地域に貢献する企業を立ち上げたい人を、住民や企業、金融機関、行政が支援し、全体を中間支援組織が束ねる事例が各地で始まっています。例えば、島根県の「おっちラボ」を訪ねると、金融機関の支店長クラスが会議をしていました。どうやって地域へ融資をしていくかを話し合い、それを事務局長が束ねていたんですね。

 なぜ、こうした活動ができるようになってきたのか。山の中でも結構いい道路があり、物流ネットワークも良くなりました。さらに高速インターネットも整ってきています。こうしたネットワークで民間が効率よく地域に入れるようになりました。例えば、一人暮らしのお年寄りを見守るのに、ロボットなどを活用できるし、買い物などの自動配送もできるようになりつつあります。IT技術は人手の足りない地方こそ、生かすべきです。実際に、独居高齢者向けアプリを作り見守り活動をしているケースもあります。

 公共交通についてみると、私は長野県の交通不便地帯の人口は17万人と推計しています。駒ケ根市は線路の東側が不便地帯のようです。高齢社会では大きな問題です。ただ、民間の力で改善される例が出ています。秋田県や神奈川県でスーパーが無料バスを走らせ、病院などを回ってます。住民も自分たちで走らせ始めた例もあります。

 日本全体の人口が減っていく中で、コミュニティーを誰が支えていくのか。民間の力が重要です。スピード感やテクノロジーの導入など、いろんなことを考えることが地域の持続性につながっていきます。もちろん行政には民間の活動を支えたり、それ以外の地域との橋渡しをしたりなどの役割があります。
☆第2回8月26日18時~20時「商店街復活のヒント」
「駒ケ根の明日を語る会」(代表・伊藤祐三前共同通信論説委員)が開く地域づくり連続講座第2回は「商店街復活のヒント」をテーマに8月26日、駒ケ根駅前のアルパ3階多目的ホールで行いました。ゲストは、寂れた卸売市場を丸ごと引き取り再生につなげた高岡はつえ・テラスオフィス(沼垂テラス商店街)専務(新潟市)と、空き店舗ゼロの人気商店街を育てた原雅廣・匠の町しもすわあきないプロジェクト専務理事(長野県下諏訪町)の2人。商店街のにぎわいは駒ケ根市でも大きなテーマです。多くの人が駆け付け、実績を重ねてきた2人の取り組みに質問を重ねていました。
 高岡さんは、地元・沼垂を子どもたちが誇りをもって語れる街にしたいとの思いから始めたと説明しました。会社を設立し、数店舗しか残っていなかった卸売市場を土地、建物を丸ごと引き受け再建をスタート。ここでしか出会えないもの・人・空間の提供をコンセプトに、一緒にやっていける人たちを集めていったと話しました。レトロな雰囲気を気に入った人たちが少しずつ出店し活気が戻り始め、ユニークな店が次々と出店、空き店舗はなくなりました。周辺の空き家の活用にも乗り出し、ゲストハウスもでき、多くの人が訪れるようになりました。
 商店街はものではなくことを売る場にしてはと原さんは話し、工業の街にふさわしいものづくりを商店街でやってもいいと考えたといいます。手作りのスピーカーや、椅子の修理などクラフト作家が集まり、移住者も増えていきました。おかみさん達の近所付き合いが、こうした人たちを受け入れる力となったと説明しました。できる人ができることからやるという、ゆるいつながりが活動を持続させる秘訣とも話しました。さらに、地元のクラフト作家の展示販売会を東京で独自に開き、地域を売り込んできました。こうした取り組みが若い人たちをよそ者から担い手に変え、街づくりを次の世代につなげていくことにつながると話しました。


高岡はつえ・テラスオフィス専務の話に、
参加した多くの方は聞き入っていました。
子どもたちが自慢できる街にしたい

◎高岡はつえ・テラスオフィス(沼垂テラス商店街)専務(新潟市)

 まずは、沼垂の歴史的な説明をさせてください。「沼」に「垂」と書いて「ぬったり」と読める方はおられないと思う。だからこそ、この地名はインパクトがあります。私自身はいい地名だと自慢に思っています。沼垂は日本書紀に書かれていた、北方の人に備える柵が由来といわれています。
 私たちの商店街は200メートルほどで、沼垂寺町といわれるほど7軒のお寺に囲まれています。以前は周囲に石油タンクや大きな煙突が建ち、3つの大きな工場があり、高度経済成長期には朝から晩までフル稼働していました。労働者の方々は仕事が終わると沼垂に来て、娯楽や飲食で栄えた場所でした。家族の食を支える、青果中心の市場もありました。映画館もありましたし、人と物であふれていた歴史があったんです。
 
しかし、3つの大きな工場のうち2つは撤退しました。2013年ごろには、シャッターが降りっぱなしで、街は冬眠したようになってしまいました。経営者が年をとられ後継者がなく閉めてしまったり、郊外に大型店ができたりといった影響があり、わずか数店舗を残し、まさにシャッター通りになっていました。しかし、ここ数年、変化が起きました。この土地のノスタルジックでゆったりした空気感に若者たちの出店が相次ぎ、見直され始めたのです。
 最初の変化は10年のことです。佐渡島の牛乳を使ったソフトクリームと総菜の店ができました。向かい側にある大衆割烹の2代目で料理人である私の弟が、寂れた通りでチャレンジしようと店を出したんです。その1年後、この場所を気に入った30代の若い夫婦が隣にカフェを出しました。旦那さんが家具職人で、奥さんは染色家です。さらに、このカフェにコーヒーを飲みに来た30代の夫婦が気に入って、その1年後に陶芸工房をオープンしました。2人とも岐阜の多治見で陶芸を勉強され、工房の場所を新潟で探していたのです。1年で1店舗とスローな流れですが、3年間の3店舗が沼垂を大きく変えるきっかけになりました。こんな場所にしゃれた店ができたので、メディアの取材が入るようになりました。出店の相談も相次ぎ、ここはエネルギーのある場所だと確信しました。将来やるべきことが明確になり、再生のプロジェクトにつながっていきます。
 一帯の店舗の土地と建物は、市場組合が持っていました。組合は高齢化による組合員の減少と事務管理能力の低下に陥っていました。にも関わらず、組合の規約があり、先の3店舗は店子として出店を認められましたが、組合員以外の出店はだめだといわれました。弟が仕入れに行く卸売市場に組合のキーマンの方がおられ、情報交換をさせてもらっていました。あるとき、その方が、そこまでいうなら買い取ったらと提案したのです。買い取りなんて想定していませんでしたし、大きなお金もかかります。非常に悩みました。もし、事業にしたらどうなるかと数字にしました。賃料の見込みや融資への返済などのプランを描き、地銀に持って行くと面白がってくれたのです。ちょうど地方創生が言われ始めた時期で、なんと数千万円を借りることになり、プロジェクトが動き始めました。

▽コンセプトは古くて新しい沼垂

 14年3月、管理会社としてテラスオフィスを設立し、プロジェクトをスタートさせました。管理業務は個人でもできますが、街づくりをミッションにしようと考え、動きやすいように会社組織にしました。私は会社に勤めていて、それなりに安定した収入がありました。しかし、弟が料理人をしながら街づくりをするのでは体がもたないと思い、私が会社を辞めて一緒に会社を興すことにしました。当初は2人でがむしゃらに基盤づくりをしました。生まれ育った街がにぎやかになることは面白いことです。幼い頃は市場機能がしっかりあり、人と人のふれあいや人情が目に焼き付いていました。その風景を取り戻せるならと、純粋な気持ちで加わりました。子どもたちが大人になった時、沼垂という場所が自慢できる場所であってほしいんです。いったん進学や就職で外に出ても、生まれ育った街はすごいいい所だと言ってほしいものだと頑張っています。
 コンセプトは古くて新しい沼垂。歴史・文化・景観を生かして、ここでした出会えない、もの・人・空間を提供するということです。このコンセプトを発信するツールはSNSです。お金がないところからスタートしましたので、フェイスブックやインスタグラムを使い、ホームページに誘導しています。
 ほとんど変わっていない、この土地の風景を生かさない手はないと考えました。まずは事務所をつくりました。小さなスペースをリノベーションしました。外側の(シャッターの)さびと対照的に、内部はきれいにしました。これがコンセプトである、古くて新しい沼垂を具体化した形です。ここには、たまにネコが出勤する設定にしています。
 古本屋や居酒屋、北欧雑貨、ハンドメイドのアクセサリー、ガラス工房、花屋、ダイニングカフェができました。中古の足場板を使った店もあります。経営者の中には移住されて来た方もいます。天然石アクセサリーや家具と食品、フローリングのショールーム、観葉植物店を兼ねた建築設計事務所、コーヒー店などもできました。
 シェアスペースもあります。いろんな方にチャレンジしてもらう場所で、日替わりや週替わりで場所を提供しています。例えばパン屋やケーキ屋などが登場しています。市場時代からある八百屋もあります。近くに古民家があり、アトリエギャラリーにしました。こうして15年4月、沼垂テラス商店街という名前で新しい商店街を誕生させました。
先ほど挙げた、ここでしか出会えないもの・人・空間というコンセプトは重要です。私たちの商店街は新潟駅から歩いて15分ほどかかり、なかなか来づらい場所です。地方の方はクルマで動きますからね。そんな場所に、何を提供したら来てくれるのかと考えて作ったコンセプトです。このコンセプトに合うお店に入ってもらって、その店を魅力に感じる人に来てもらおうという思いを込めました。

▽オリジナル商品の開発にも挑戦

課題はあります。一つ一つが小さな店です。出店している世代は30~40代の子育て中で、ワークライフバランスを重視するので、きちんとお休みをとります。私たちの商店街は一斉に休むのではなく、それぞれの店の都合です。週の真ん中あたりは非常に休みが多くなります。県外からもお客さんが来られるようになったのに、そうした日に当たるとがっかりされてしまいます。
たくさんのメディアが取り上げてくれました。県外からのお客さんが特に夏休みには多くなります。何といっても「地域再生大賞」で2016年、準大賞をいただきました。この受賞をきっかけに視察が増えました。グッドデザイン賞もいただきました。
オリジナル商品も作りました。沼ネコ焼きといい、愛着を持っています。私たちの場所はもともと市場で、ネズミの見張り番としてネコがかわいがられていました。私も大のネコ好きで、ネコのお菓子を作ってしまいました。地元の学校が面白がってくれて、総合学習のネタにされました。小学生が顔をデザインしてチョコバナナ味を考えてくれまして、夏の期間に出しています。

▽商店街は埋まり、周辺の空き家も活用へ

商店街の店舗は全部埋まりました。それでも、お店を出したいと相談が来ています。では次に何ができると考え、近くの空き家を活用しサテライトショップ作りを始めました。3つお店ができました。2015年に本屋。空き家になっていた時計屋をマッチングしました。ゲストハウスもできました。築90年以上の空き家でしたが、元気な女性が長野県のゲストハウスで修業し、すてきな宿を作ってくれました。2階はコミュニケーションスペースとして旅人と地域の人が交流できるように提供してくれています。3つ目は靴修理兼クラフトビールの店です。修理の間、ビールを飲んでというお店です。
活動は自分たちの力で頑張ろうというのが基本です。ただ、頑張っていると、行政が見ていてくれる。公衆トイレを改修してくれたり、大きな水たまりができる道路をきれいにしてくれたりしました。1回だけですが結婚式もしました。温かな雰囲気でしたね。
さらに、6月にはコワーキングスペースを開設しました。フリーの方に仕事をするスペースを提供し、より多くの方に商店街を使ってほしいとの思いで作りました。徐々に活用され始めています。
月に1回、イベントをしています。朝市です。4~11月に特別出店も含めて70店舗ぐらいでお客さんを迎える一大イベントです。冬はこじんまりと常設店だけで楽しんでもらう冬市をやっていますし、年2~3回は夜市もやっています。
―お客さんのクルマと徒歩の割合は
不便な場所で、コインパーキングはありますが専用駐車場はありません。最近は県外のお客さんが新潟駅から歩いてこられる方も多いし、駅のレンタサイクルで来られる方もあります。ただ、全体にはクルマで来られる方が多いですね。
―いろんなお店はどうやって決めているのですか。
1年ぐらいの準備期間に全部埋まりました。実は、3店舗がそろった時に小さなイベントをしました。そのお手伝いをして起業したいという方を優先しました。さらに、コンセプトである、ここでしか出会えないもの・人・空間を実現してくれる方や熱意のある方を選んで一緒にやっています。

商店街に活気を呼び込んだユニークな取り組みを話す
原雅廣・匠の町しもすわあきないプロジェクト専務理事
“おばちゃん力”が支えるご近所付き合いが原動力

◎原雅廣・匠の町しもすわあきないプロジェクト専務理事(長野県下諏訪町)

 私の本業は金属表面処理メーカーで、商店街の人間ではありません。下諏訪町は人口2万人。工業の街として戦後は精密機械工業を中心に発展、工業出荷額のピークは1983年で今は3分の1ぐらいの規模になりました。ふかんしてみると、中山道や甲州街道の宿場を中心に街ができましたが、この光景は明治時代から変わっていません。仕事があったので人がやってきたのです。小さな工場団地はありますが、ほとんどが家も工場も商店も同じところに集まっています。こうした街が110年前にできました。
 地元の御田町という商店街ができたのは大正元年です。きっかけは工業です。
 通りの奥に製糸工場ができ、1900年には国鉄ができました。作ったシルクを横浜に運ぶことになったのです。駅から(工場までを)ショートカットするために道を造ったものが商店街の原型になります。当時は労働集約型。工員さんがたくさん働き、ここを歩きました。戦後はカメラ工場ができ、毎日2千~3千人が歩いていました。私が小学生の頃はものすごい人でした。人が歩くと商店街ができるんですね。ただ、いい時は昭和50年代まで。バブルがはじけ、2003年には200メートルぐらいに30軒ほどあった商店街は、半分ぐらいが空き家になってしまいました。16年たった今は、クラフト系や特徴ある飲食店がたくさんできています。03年ごろから延べ約40軒が開業し、半分ぐらいが移転したりやめたりしていますが、大事なことは、どんどん次がやって来るということです。
 どんな人がいるかといいますと、10年程前東京から移住し、木製スピーカーを作っている元教員の夫婦がいます。オリジナルで開発したもので、40万円ほどします。中には100万円という商品もあります。作業場を残して伊那谷へ移転しています。木工で精密な人形を作る女性や布と小物のクラフト作家、飲食店、カフェ、雑貨、いすの修理、和菓子屋、バイオリンの修理工房など、いろんな方が来ています。

▽商店街に変化をもたらした3つのポイント

 なぜ、こうしたことが起きたのかというと3つのポイントがあると思います。一つはレトロな昔ながらの雰囲気があり、おばちゃん達は非常に元気があります。これが重要です。おかみさん会をつくりましたが、それで終わらなかったんですね。先ほどのスピーカー屋さんの場合では(引っ越してきたときに)借りる家の電気や水道の開通が終わっていました。やっといたからねっていうのです。パン屋さんは焼き立てのビザを持って来ました。「作り過ぎたから」っていうんですが、そんなことありませんよね。隣の家からは余分があるからと、毛布が届くのです。ご近所づきあいですね。昔のノリです。仕組みとしてやってなくて、おせっかいおばちゃんが活躍するんですね。
 2つ目はたまり場です。カフェや居酒屋ができましたが、これが大事なんです。井戸端会議をします。5歳から80歳超までの人がぐしゃぐしゃと話して、今度はあれをやろうと決まっていきます。これが大事で、今度はこんな人が来るといった話が交わされ、ここでコミュニケーションがとれるんです。
 3つ目はデザインの力です。何人かのデザイナーらが商店街で足りない部分を補完してくれます。餅は餅屋といいますが、専門家の力を借りようというわけです。よそ者の力を借りましょうということです。客観性を形にしていくことが大事です。もともといる人たちと新しく来た人たちが手を握ったのです。こうしたことが18年程前から始まりました。

▽それぞれが無理なく自立分散型で活動

 02年12月、母体になる組織が始まりました。当時の町長が垣根をつくらず町内、町外の人が参加して町の課題を話そうという組織をつくりました。その中のグループに商店街活性化グループがあり、活動の源泉となりました。5人でコンセプトをつくることからスタートしました。下諏訪はものづくりの街として、技術だけでなく人や手法も養ってきました。この強みを商店街の活性化に使えるのではと考えたのです。無理をしないとか情報を共有するといった工業的手法を使っていきました。商店街はものを売る場所と決めてかかりますが、ことをつくる場所に変えてはどうかと考えました。ものづくりの街だから、商店街で作ってもいい。大量生産ではなく、ここでないと手に入らないものを作る匠の町にしようとしました。この名前で03年にスタートしました。
 空き店舗に店をつくるのはプロセスです。持続性を担保するには教育や仕組みなど総合的な取り組みをしないといけません。ただ、そんなにうまくはいきません。最初にやったことは、まず1軒作ろうということでした。おかみさんたちがミーティングで使っていた小さな店がありました。仲間に声をかけて、会社が終わった午後7時ごろから改装をしました。総工費10万円。機織り機を置いて店を始めました。始めたおじさんは亡くなり、今は娘さんが跡を継いでいます。
 商店街の全員が最初から(取り組みを)いいねといってくれなかったんです。できるわけないという人が10人中8人。けれど、この店ができると「あらら」と言って、ちょっとずつ仲間が増えていったんです。全員が賛成するのを待っていると疲れてしまいます。できることからやってみようというわけです。3階建ての昭和初期の木造建築がありました。傾いていて中はボロボロ。床に板を張り塗り直しました。別の建物は間口が狭く、奥が深い構造でした。奥にあるお座敷の建物だけを借りて飲食店にしました。入口からぐるぐると回遊していくと、店が登場する構造で、今は予約しないと入れない人気店になっています。
 僕らの組織は結構、ゆるくやっています。街づくりはいろんな人が集まっています。男女や年、職業、住んでいる場所が違い、ちょっとずつ価値観も違います。やりたい人がやるということです。生活時間も違う。楽しくやらないと長続きしません。
実は(出店する)人集めも口コミです。口コミは、いい人がいい仲間を呼んできます。信用です。宣伝すると目がお金の形になった人が来てしまいます。この信用は、おばちゃん達がフィルタリングをしてくれます。最近は商工会でも(出店希望者には)まず御田町で話をして来てといわれます。おかみさん達がいいねっていう(人は)当たるんです。
かっこよくいうと自立分散型プラットフォームといいます。プラットフォームとは、お盆の上にいろんなものが乗っているということです。自立分散型とは、会議をやらなくてもいいのです。それぞれのイベントごとに、できる人がやる。忙しければ出なくてもいい。でも情報は共有します。始めたころはメーリングリストでした。つまり、集中管理と逆です。大学の先生に教わったのですが、ロボットは一つのCPUで全体を動かすとうまくいかないそうです。手や足など、それぞれにCPUを入れて連携させて共同作業をしないと動かないそうです。街づくりも一緒だと思いました。
こうした考えをイベントにしました。下諏訪町はコンパクトで、歩いて1~2時間で一回りできます。秋には、観光協会などがいろんなイベントをバラバラにやっていました。それなら一度にやろうということにしました。大事なことは実行委員会、主催をつくらないことです。もともとあったイベントを持ち寄ったからです。参加してもらうのではなく、参加したい人がやるのです。全体のマップは町がつくりました。できる範囲のイベントを持ち寄るので無理がない。でも、人は出る。2万人の町に1万人ぐらい出ます。7割が地元です。20回余り続けて来ましたが、参加団体はスタート時は8程度でしたが50を超えました。最近は学校が来て、総合学習の発表をしています。イベントが町の節目になったのです。
イベントは目的になりがちです。地域内の連携というか、こういう人がいる、こんな活動をするといった出会うきっかけなんです。なぜ、隣の人と手をつなぐことが大事かというと、人口2万、3万の町は何かをやろうとすると役者が足りません。ならば、隣から借りればいいじゃないかということです。例えば、駒ケ根市が中心になり伊那市や飯田市を巻き込んでプラットフォーム型のイベントもできると思います。

▽よそ者から担い手へ変化を

次の世代へどうやってバトンを渡すのかは課題です。たくさんの人が移住してきましたが、ずっといてくれるのかということはありました。御田町スタイルというイベントを2011年から始め、東京の吉祥寺や六本木でクラフト作家の商品の展示即売をしました。百貨店の物産展に参加してもいいのですが、ものではなく街を売りたかったのです。エリアアイデンティティの確立です。なぜ、下諏訪で仕事をしているのかを感じてもらいたかったんです。下諏訪で仕事をする意味や価値を背負うことで、彼らがよそ者から担い手に変わります。今はおばちゃん達が街を支えていますが、彼らが支えていかないといけない。それが街が続くということです。彼らは彼らなりにイベントをしています。県内の作家と手を組んで東京で発信事業をしたり、女性が子どもたちを集めてイベントをしたりと自主的にしています。
この背中を見て、新しい人が来ています。先ほど、沼垂で話が出たゲストハウスです。大正から昭和初期の古い空き旅館を改装しました。オーナーは始めた当時、20代後半だった女性です。いろんな人が来て、たまり場になりました。来た人が居ついて創業しています。マグネットコミュニティーと呼んでいますが、磁石にくっつくようにコミュニティーがつながっていきます。僕らは第1世代。このゲストハウスは第3世代となります。
こういう取り組みは、どういう物差しで測っていいか分かりません。交通量や売上高はゴールではありません。下諏訪っていいね、面白いねというファンが増え、集まってくる。行きたい、住みたいという幸福度という物差しでみるとすっきりしてきます。

参加者の質問に答える高岡さん(右)と原さん
▽人とのふれ合いがひきつける

―空き店舗があっても、持ち主が貸したがらないケースが多いと思います。どうやって乗り越えられたんですか。
原 私たちの商店街が空き店舗ゼロといわれ始めたのは2012年ごろで、活動を始めてから10年ほどかかっています。地権者が外へ出てしまっているケースも多いので、盆暮れに帰ってきたときに、おばちゃん達がわーっと話すのです。それを5年続けていくと、貸してもいいかなと思うようになります。ご近所付き合いは大事で、家賃も若い人が来るのだからとおばちゃん達が話すと決まってしまいます。賃貸は私たちのNPO法人が入って3者で契約することで安心感が出ますし、雨漏りなどは(借りた人が)自分で直すなど大家さんの負担を減らすようにしています。
高岡 沼垂は自分たちが会社を興して丸ごと買い取るリスキーな選択をしたが、スピーディーでした。今は、空き家をマッチングする段階に入り、時間をかけながらやらなくてはいけないと思っています。
―なぜ、株式会社にして取り組んだのですか。
高岡 自分たちのミッションを街づくりにして、動きやすいように組織化しました。行政に頼らないスタンスをとっているので、営利を追求しないといけません。ただ、賃料は起業しやすいように安く設定しました。今となっては、私たちの利益に影響していますが。しかし、雑貨店などを始めて小売りの部分がぐっと出てくるようになりました。不動産管理業も、空き家の開発をして、フィーが入ってくるようにしたいと考えています。
―古民家のリノベーションに都会からの参加者がいると聞きました。どんなことが面白いといっているのでしょうか。
原 よくわかりません。しかし、若い人たちは、自分のやりたいことについて、お金や場所にこだわりがないように思います。都会の喧騒から離れてナチュラルな仕事をしたい人もいるでしょう。それぞれの土地にあわせた人たちが出てくるのではないでしょうか。
高岡 商店街をしていて、若くても年配の方でも人とのつながりを求めるんだなと思っています。大型スーパーに行けば、一言もしゃべらず買い物して帰ることが可能です。商店街だと、店主とどこから来たのなんていう会話から始まる。なぜ、やって来るのかというのは人とつながりたい、ちょっと面白いことをやって共有したいからだと思います。
☆第3回9月24日18時~20時「若者が担う地域づくり」
駒ケ根の明日を語る会」(代表・伊藤祐三前共同通信論説委員)は9月24日、駒ケ根駅のアルパ3階多目的ホールで地域づくり連続講座第3回「若者が担う地域づくり」を行いました。NPO法人「農音」(愛媛県松山市)の田中佑樹代表理事と、白戸洋松本大学教授の2人が登場。地域の将来を開く若者と、どんな活動をしていけば良いのか。2人が行う現場からの報告に、参加した多くの方が耳を傾けました。
 東京でのバンド活動から瀬戸内海の島でのミカン栽培に転身した田中さんは、ゆったりとした島での暮らしをしたいと思ったと説明。わいわいやる仲間を集めたいと、移住促進に取り組み、これまでに58人の移住者を迎えたと話しました。スーパーなどを回って仕事を用意したり、空き家を紹介したりしたほか、1泊2日の移住体験なども行ってきました。しかし、人口減少は当面、止めようがなく人口が減っても島を維持できる体制づくりを模索していると話しました。過疎先進地として、人口減少対策は気が付いた時は手遅れといい、早めの取り組みを訴えました。
 白戸さんは、地域で若者を育て地域に返す大学での教育を紹介。最初から大きな期待をせずに見守ると、やがて大きな力を発揮すると話し、長い目で若者を育てていくことが大事だと話しました。松本市郊外で取り組んでいる地域づくりでは、路線バスの廃止後に始めたコミュニティーバスが1年で乗客が増え黒字化したといい、じっくりと取り組めば成果は生まれると強調しました。地域づくりは地域でどう生きるかを考えるかだとして、こつこつと暮らしを改革していくことが大事だと話しました。
東京でのバンド活動から瀬戸内海の島でのミカン栽培に転身した田中さんは、ゆったりとした島での暮らしをしたいと思ったと説明。わいわいやる仲間を集めたいと、移住促進に取り組み、これまでに58人の移住者を迎えたと話しました。スーパーなどを回って仕事を用意したり、空き家を紹介したりしたほか、1泊2日の移住体験なども行ってきました。しかし、人口減少は当面、止めようがなく人口が減っても島を維持できる体制づくりを模索していると話しました。過疎先進地として、人口減少対策は気が付いた時は手遅れといい、早めの取り組みを訴えました。
 白戸さんは、地域で若者を育て地域に返す大学での教育を紹介。最初から大きな期待をせずに見守ると、やがて大きな力を発揮すると話し、長い目で若者を育てていくことが大事だと話しました。松本市郊外で取り組んでいる地域づくりでは、路線バスの廃止後に始めたコミュニティーバスが1年で乗客が増え黒字化したといい、じっくりと取り組めば成果は生まれると強調しました。地域づくりは地域でどう生きるかを考えるかだとして、こつこつと暮らしを改革していくことが大事だと話しました。

1000人でも回せる地域を

☆田中佑樹・農音代表理事(愛媛県松山市)

 愛媛県松山市で生まれ、高校まで育ちました。高校の時に音楽を始め、大学でもバンド活動をと東京に出て卒業後も続けました。リハーサルスタジオでアルバイトをしながらライブをする生活でした。30歳近くになり、音楽で売れることが考えづらくなり、自分が楽しむだけの音楽であれば、東京にいる必要がないのではと考えました。スタジオに通ってくる若者たちと、田舎でのんびりと暮らして自給自足のような生活ができたらいいねと夢を語り始めたことが、この活動のきっかけになりました。
32歳で移住しました。(その前に)東京にいるうちにできることをやっておこうと、雑誌編集部に就職しました。田舎に若い人を呼び込むには、情報を発信する必要があります。情報の扱い方や文章の書き方、写真の撮り方を学べると考え、2年弱働き、移住を決行しました。 知らない土地で知らないおじいちゃんやおばあちゃんと暮らすだけでは寂しいというイメージがあり、同世代でわいわいできる仲間がほしい、仲間集めをと移住促進を続けています。
移住先は中島という島です。愛媛、広島、山口県との真ん中辺りにあり、1周25キロぐらいです。人口は現在2400人。50年程前は1シーズンの収穫で家が建つといわれたほど、高級ミカンで知られた島でした。そのころは人口1万5000人もいたそうで、50年で6分の1以下まで減少してしまいました。
島でのこれまでの活動について話す田中佑樹・農音代表理事
 イノシシが増えて年間500~600頭駆除していますが、2000頭ぐらいはいるのではといわれています。移住3年目に狩猟免許をとり、80数頭捕りました。「地域再生大賞」で表彰していただいたこともあり、島として知名度が上がり、移住の島として知られるようになってきました。
マンツーマンの対応で移住者呼び込む

 代表理事としてやっているNPO法人「農音」は、音楽仲間が集まり、地域活性化に農業を盛り上げなくてはならないだろうと名前をつけました。移住まで仲間と作戦会議をしました。人口減少の問題は、産業が廃れ、中島でいえば害獣のような別の問題が出てくる負のスパイラルになっています。改善のため、いろんな切り口があると思いますが、若い人を補充していくことが活力がわき、新たな産業や動きが生まれるのではないと考えました。まずは若者の移住が最優先です。島で若者を呼び込む動きをしたいと、島の市支所長に相談しましたが、この島は、そんな島ではないからほかでやりなさいといわれました。もっと体制ができている島でやった方が楽だよという意味でいわれたのでしょうが、僕からすると、せっかくやろうというのにと思ったことが原動力になっているような気がします。
 バンドマンだったので地域活性化のノウハウはなく、手探りで思いつくことをやってみて、ダメなら何がダメかをブラッシュアップしていく戦法でやっています。中島のことなら大体のことが分かる情報とコネクションが広がりました。やってきた音楽がジャムセッションや即興音楽で、どんな人とセッションしても引き出しからネタを出せるようにしてきました。今でも、どんなタイプの移住希望者が来ても、話を聞いて対応できるような体制をつくっています。何を求めているのか聞き答えるマンツーマンの対応で、NPO法人を通じた移住者は58人になりました。その人たちが島の人や移住者同士で結婚をし、小学校のある学年は半分以上が移住者の子どもという状況になっています。小学校全体は40人ほどなので、一人の重みがあります。街で暮らしていた人が、より自由で自己実現感を得ながら暮らしていける場所が田舎にあるよという提案をしています。
 最初の1年は島のことをまったく知らず、ミカンの勉強をと考え、柑橘類の加工品工場に勤めました。2年目からNPO活動に力を入れました。最初は、SNSで島暮らしを発信しました。30分でこんなに魚が捕れたよというような都市部の方がうらやましがるような情報を発信してきました。移住したい方が住む家がないと進まないので、家をすぐに紹介できる対応を整えました。農業ではない田舎暮らしをしたい人もいるので、農協やスーパー、老人ホームなどを回り仕事がないかを聞き、すぐに現金収入を得られる体制をつくりました。農業をされる方の場合は高齢の方がやめる畑を引き継ぎ、みかんを翌年から収穫できまるようにし、販売事業もやっています。移住者が20人近くになると、松山市の空き家バンク事業の補助を受けました。紹介用の動画コンテンツは週刊誌に取り上げられました。
 移住体験イベントもしています。仕事や家を紹介するのが一般的だと思いますが、島の空気感や生活を体験してからではないと、島に合うかは何ともいえません。移住者の家に1泊2日し、食事や近所のおじさんとの付き合いなど島暮らしのリアルを伝えています。空き家バンクはインターネットでの発信がメインです。体験イベントと連動させ、空き家を紹介しています。土地付きで100万円ぐらいで買える家もあるので即決する方もいます。

▽人口減対策、気づいたときは手遅れに

 シーサイドワーク推進はホットな部分です。ミカンの生産量が下がり売り上げも落ちているので、松山市と愛媛県、JAが連携して島でミカンを作る若者を呼び込む取り組みを始めました。10~2月の収穫時期にアルバイトとして来てもらっています。
 中島を中心とする忽那諸島の産物を販売する「くつな商店」という事業を立ち上げ、育っていけば株式会社として切り離す考えです。物ではなく島を売っていきたいので、50品種ほどが作られる柑橘類から毎月、時期のものが届く定期便をしています。柑橘事情をぎっしり書いたものも届けていて、主力商品になり250万円ほどの売り上げになっています。駒ケ根市の高齢化率は全体では30%台だが、周辺はもっと高率の地域もあると聞きました。松山市も高齢化率が60%台の島もあります。中島の人口2400人といいましたが、毎年100人減っていて、20年後はどうなるのかという状況になっています。
農業だけでなく、スーパーや病院、老人ホームなども人手がなく、移住者を呼び込んでといわれるのっぴきならない状況に来ています。僕らも危機感を持ち、このままでは無人島になってもおかしくないなと考えています。
 今日、駅周辺を見た感じでは、駒ケ根市を今すぐ何とかしないとという危機感を持っている方はほとんどおられないのではと思いますが、過疎先進地としていうと、気づいた時には遅いです。人口減少が進むと、あらゆるものが小規模になります。そうすると、カフェをつくろうとしても事業として成立しなくなってしまう。仕事のあっせん、空き家紹介も価値があれば不動産業者が入れますが、事業としてできないのでボランティアでやるしかなくなってきます。人が減り、地価が下がると手が付けられなくなってしまいます。移住促進の切り口は、お金ではなく、クオリティーオブライフです。海や山で、こんなに食べ物が取れ、お金をかけず、こんな生活ができるということを発信するのが大事かなと考えています。
 草を刈ってほしい、買い物の足がないなど細かい困りごとが若者に集中してくるので、コミュニティービジネスとして回せば成立するのではと思っています。移住者が増えると問題になるのは移住後の生活サポートです。いろんな人が来るので、問題が起きることもある。そういう人たちをケアする体制として島生活円滑会をつくり、集落ごとに世話役を決め丸く収めてもらうようにしました。
一番の問題は地域のコミュニティー、自活力が弱ってきていることです。日本中で人口減少が起きているので、中島を統括する松山市も人口が減り、税収も減る。島のことは島で頑張りなさいといってくるのが目に見えてきてます。どうするかを今のうちに話し合う必要があると感じています。
 今の人口減少は止めようがありません。2400人から1000人ぐらいまでは減っていくでしょう。そこで止められるかが勝負所だと思っています。1000人でも回っていけるダウンサウジングのモデルを話し合う必要があると思い、愛媛大学の教授に相談をもちかけています。集落の合併も出てくるしょうが、盆踊りのリズム一つとっても集落で微妙に違います。文化を統合して行くことがすごく難しい問題と感じています。
 柑橘産地としては、生産量が減ってもいい柑橘をつくっていけば生産者は生きていけます。ただ、産地が弱小化すると運送手段がなくなるなどの課題はありますが、技術革新で道が開ける気もします。それにしても若い人がいないと大変だと考えています。
 この1~2年、60代の移住者が増えています。老後資金問題が騒がれましたが、生活費を抑えて悠々自適に暮らせる場所を探しているのだと思います。65歳ぐらいですと地域づくりの有力な担い手です。協力していただける仕組みを考えていかないといけません。

―駒ケ根市は特産品づくりをしていますが、なかなかうまくいっていないのが現状です。名産品がない中で、どういうところを強みにして発展させるのがいいでしょうか。
 田中 年間100万人もの観光客が中央アルプスに来ていると聞きました。しかし、お金を落とせるポイントがないようです。商店街を歩くとカフェらしいものが少ないですね。キャッチする仕掛けがないのかなと思います。僕だったら、お客さんが必要なものをバラバラにおき、動かざるを得ないような状況をつくることを街単位でやったらどうかと思います。どうしても通らざるを得ないポイントがあれば、山で使うアウトドアの店を離しておいてみるとか。意地悪ではなく、街を楽しむ仕掛けづくりです。

地域をどうするより、どう生きるかを考えることを

☆白戸洋・松本大教授

 横浜市で生まれ神奈川・逗子で育ち、大学では農業経済を勉強し、建設コンサルタントに就職しました。アジア・アフリカで農村開発の計画策定をし、バブルの頃の企業戦士として、子どもが生まれても6か月海外ということもありました。仕事は面白かったが、知識はあるが知恵がないことに気づきました。信州に来た頃、農家から大根をもらい、本を読んで漬物を作ったがまずい。しかし、公民館でおばあちゃんの漬物を食べるとうまい。どうやって作るのかと聞くと、塩も水も適当だという。実際の経験がないとできないことに気が付いたんです。知恵は経験がないとできないですね。
玉井先生という農学の面白い先生がいると聞き、会いに行きました。ODAで、こんなことをしてきたと説明すると、それは戦争中の日本の農村のようだなと先生はいいました。戦争中、農村は供出をさせられ、戦後は補助金が降ってきた。しかし、それは農協の窓口でハンコをつかないといけない。君は悩める農協職員だな。出世を考えれば農協を、農家のことを考えると農家を向かないといけないというわけです。ああ、この人は私のことを分かっていると思い、弟子入りしました。3年間、貯蓄で生活し、東京へ戻り、また海外の仕事をしようと考えていました。
しかし、気が付きました。例えば、自分の街の将来を考え眠れないかというと、そうではない。しかし、自分のことは別です。ある公民館長が「おれは地域をどうしようかと思ったことはない。地域で自分がどう生きていくかだ」と話したんです。ハンマーでたたかれたようでした。
若者を長い目で見守ってと話す白戸洋・松本大教授
私は人のため、アジアや信州の農村のためとやってきた、しかし、自分がどこにも生きていないんです。人のためとは、にんべんに為と書き、偽善の偽です。人のためというと偽物になると思いました。ここに残ることにしました。

▽地域の中で若者を育て地域に返す

 2002年に松本大学ができ、地域の若者を地域で育て地域に返すというコンセプトで始めました。そこで教員になりました。基本は、その土地で暮らす、生きる、食べていくということを外から来た人も中にいる人も、きっちりできるかということだと思う。街づくりは、一人一人がきちっと暮らし、ちゃんとした住みやすい環境をつくる中で、気が付いたらできているということが大事。自分のことでないと本気になりませんが、人間は社会的動物で一人で生きていけないんです。飯も一人で食べたら味気ないですよね。みんなが暮らす中で、ちょっとずつつながっていく。そういうものが必要で、いきなり、地域を活性化してピカピカ光るようにはできないと思います。自分自身がどう生きるかを原点に、地域と関わっていくことではないか。それが学んだことです。
 若い人の話をします。松本大学を立ち上げたころ、長野県の高校生が県内の大学に進学する割合は47都道府県中47位で、県外へ出るとほとんど帰ってこない状況でした。これでは人がいなくなる。若者の地元定着を掲げました。大学の開始時間も駒ケ根や中野、山梨県内の一部などから通える時間にしました。地元に残る若者を育てるなら、地元でしかできない教育をやろうと。野球部の部長をしていますが、県内の野球少年は力のある子は高校から県外に出てしまう。一つの価値観でやるとスポーツも勉強も最後は東京へ出てしまうと思います。だから、価値観そのものを変えないとという思いで取り組みました。
 教授会では、地域と何かやるのはどうだろうかと反対されました。地域を担う子どもを大学の中だけで育てるのは無理で、地域に出し地域と連携し育てようとしました。8割以上は地元出身で、8割以上は県内で就職しています。県内に必要なことを勉強しようと、企業経営から福祉、観光、行政まで設けました。定員を少なくして学科を増やしています。
 実は大学をつくるときに、地域貢献はしませんといいました。大学生が地域に行っても大したことはできないんです。むしろ、ご迷惑をかけます。地域に迷惑をかけながら学生を育てることを徹底しました。30歳ぐらいになると力が出てきますが、20代の若者は育ててもらうのが大事だと考えています。例えば、松本市街地で学生が居場所づくりとして10年前にカフェを始めました。最初は定休日のお店を借りてやっていましたが、その後、常設になりました。若者は先を見る目を持っているが、10年、15年たって生きてきます。今の若者で判断するのでなく、未来にかけてもらいたいなと思っています。 
20年やってきて大学からでは遅いと感じ、高校生から始めています。飯田市で連携して地域人教育を最初に始めました。飯田市の高校生は大学などに進むと4割ほどしか帰ってこない。リニア新幹線ができるともっと増えるという危機感があります。地元にしばりつけるのではなく、地元のことを知らないまま選択をしているのではないか、地元のことを知ったうえで選択をしてほしいと、関心を持って地域を学ぶといったことを全市でやろうと、8年前から始めました。当時、市長が飯田市から出ていく人はと聞くと6割から7割いました。今は逆転しました。若者が活躍できる場を作っていくのです。中心市街地で高校生がいろんなイベントをやり、生き生きと生きています。県内の商業高校全体に波及し、デパートサミットという授業が始まりました。月1回、大学でマーケティングと地域の勉強をし、地域に合う産物を開発しデパートで売ります。赤穂高校はソースカツどんをアレンジし、よく売れていました。
意見交換の司会をする伊藤祐三・前共同通信論説委員(左端)
▽外の目を入れ、懸命に地域を考えよう

 松本市の郊外で地域づくりに取り組んでいます。8年余りやり成果が出始めています。路線バスが廃止されコミュニティバスを走らせたところ、1年やったら黒字になりました。買い物便や通学便など毎日、違うバスが出ます。通院便は曜日によって停留所が変わり、病院に行くおばあさんの家の前に停留所を置くのです。バスに乗る1時間前に茶話会をして出かけるということをしたら乗降客が増えたんです。若い人たちも入ってきて、移住者も来ました。
外の人の目を入れ、自分たちも地域のことを一生懸命考えることだと思います。学生が地域をつくることは住む人の心を変えることだ、心さえ変えればいろんなことができると話していました。こつこつと自分たちの暮らしを改革することが一番の近道だと思います。
 田中 今日、ここへ来て駅前がこうした様子だとやばいなと思いました。みなさんは、どう思っているんでしょうか。
 -観光客が山の中で完結している。街の中へ引っ張って来る仕組みをつくらないといけないと思っています。
 -私は、何をしたら面白くなるかなと考えています。例えば、高校生に店で料理を作ってもらうことをしたら、親しみが持てるのではないかと思っています。
 白戸 商店街の振興策は売り上げ増や来客を増やすことでしたが、人口が減る中では、よそから奪わないといけません。松本市のある商店街では、違う価値をつけて売ってはどうかと考えました。子育て支援や産地と交流をしたり、カフェを設けておばあちゃんたちの居場所づくりをしたりしています。
今年の学生の卒業研究で、暮らしのテーマパーク型商店街という提案がありました。松本市は美ヶ原や上高地などに来る人が減っています。しかし、松本山雅が試合をすると年間10万人ぐらい入りますが、観光客にカウントされません。こういう人たちが好むのは街歩き。テレビも街を歩き、人と出会うことが魅力としてクローズアップされる番組が増えています。東京の谷中など暮らしの中に観光があるように変化が出ています。食べ物も名産品ではなく、松本や塩尻の山賊焼きは年15億円ぐらいの経済効果があります。非日常の中で日常を体験することが魅力となっているんです。旅館には泊まるが、食事は外で食べるように。ものからことへといいますが、人が介した街の魅力を発信することが大事です。新しい商店街のやり方があるのだと思います。
第4回10月19日(土)14時~16時「地域ブランドの育成」
「駒ケ根の明日を語る会」(代表・伊藤祐三前共同通信論説委員)は、10月19日、駒ケ根市の赤穂公民館で地域づくり連続講座第4回「地域ブランドを育てる」を開きました。岐阜県飛騨市の都竹(つづく)淳也市長が登場し、地元が舞台になった大ヒット映画「君の名は。」をきっかけに始めた取り組みなど、ユニークな発想で進めてきた地域づくりを紹介。補助金頼みではなく、考え抜き、さまざまな交流を重ねて地域の可能性を広げていくことが大事だと訴えました。 

都竹淳也・岐阜県飛騨市長の話に多くの人が熱心に耳を傾けた
 都竹市長は、市民が少しポジティブな気分になることで街は変わると指摘し、前向きになれる取り組みをすることが人口減少時代のポイントだと話しました。そのためには、ふいに訪れるチャンスを逃さないことが重要だと指摘。映画「君の名は。」の場合、公開前の約1か月前から、SNSを駆使した取り組みなど街を挙げておもてなしを行い、ロケ地を訪ねる観光客は3年で17万人に達したと説明しました。電子マネーを組み込んだファンクラブの会員証や、スーパーカミオカンデを生かした科学の街づくりなど、多彩な取り組みも紹介。地域資源はどこにでもあり、市民との対話を通じて丁寧に掘り起こして形にしていくことが、地域の自信や誇りにつながっていくと提言しました。
考え抜き交流して地域づくりのチャンス広がる

◎都竹淳也・岐阜県飛騨市長

27年間、岐阜県職員をして縁あって故郷の飛騨市の市長になりました。県では税務を振り出しに、知事の秘書や総合政策を担当しました。障がい児医療推進室も担当し、ライフワークとして取り組んでいます。鶏ちゃん焼きという地元グルメを盛り上げようと、大まじめで「鶏ちゃん合衆国」をつくり国務長官もしています。日本で現職の国家閣僚と首長を兼ねているのは私だけだと話しています。今でも個人活動として年1回、イベントをしています。
 飛騨市は岐阜県最北端、富山県との境にあります。駒ケ根市の6~7倍の面積でしょうか。人口は2万4000人。合併当時は3万人ありましたが、今はサルや鹿を全部入れてだいたい3万人です。人口減少先進地といっています。
 松本市とは1時間半ほどです。信州と飛騨は明治の初め、一つの県でした。岡谷の製糸工場に飛騨から女性たちが野麦峠を越えて糸引き工として働いていたことがありました。映画になり、飛騨の娘さんが長野へ行っていじめられたという話になっていますが、調べてみるとそうではないんです。確かに、明治の初めなので労働条件は良くありません。ただ、ものすごく良くしてもらった人がほとんどです。調べ直して11月から企画展をしますが、目的は歴史の塗り替えです。昔、飛騨は信州の産業に支えてもらったのです。
人口は減っています。2015年の国勢調査で約2万4000人、5年間で2000人減少しました。このまま減ると、2045年には1万3500人ほどになります。人口減少の最初のポイントは高齢者が子どもを上回ることです。その後、現役世代を高齢者が上回る時期が来ます。これが人口減少の最終形で、飛騨市は2035年に来る見通しです。県の総合計画に携わった際、人口減少をメインテーマとしました。減らないようにしようではなく、減るものとしてつくりました。人口減少を止めよう、緩やかにするといいますが、理論的に考えてありません。正面から受け止めて適応しなくてはなりません。150年ほどたてば止まるでしょうが、私たちが生きている間は増えることはありません。減っていくプロセスの中で、どういう地域づくりをするかが地方自治体の課題です。飛騨市は人口が減っても元気にやっていけるモデルを示す自治体を目指そうと考えています。

▽「1.1力」を高めて街づくり

 今年の正月「1.1力」を高めようという話をしました。ちょっとポジティブな気分を1.1力といいます。普段を1.0として、ちょっと明るく人に元気を与えられる状態を1.1とします。逆に、ちょっとテンションが下がり他の人からエネルギーを奪う気分を0.9とします。2倍、3倍頑張らなくていいけど、ちょっと前向きな気分で街をつくろうということです。
 なぜ、1.1なのか。組織の力は掛け算だからです。例えば、6人の組織の場合、一人一人がちょっと頑張ると、1.1の6乗で1.77の力が生まれます。30人の組織だったら、30乗で17.4倍の力が出ます。逆にマイナスだとどうか。6人の組織で一人一人が0.9の状態だと6乗で0.53と半分になり、30人の組織では30乗で0.04と、ほとんどエネルギーがゼロになってしまいます。
 街の力も掛け算だと思います。なんとなく面白くなかったりすると、エネルギーが落ちます。なんとなく明るい気分になると、今まで動き出さなかった人たちが何かやってみようとなります。だから、市民一人一人がちょっと前向きになるだけで街は大きく変わり始めます。ちょっと前向きになれる取り組みをすることが人口減少時代の大きなポイントです。
 具体的には3つの姿勢で取り組んでいます。一つは挑戦と前進です。メディアに取り上げられる新しい取り組みにチャレンジすることです。話題が増え市民が読むと、雰囲気が変わるんです。2つ目は交流と連携。他の地域や新たな人、企業と付き合い、これまでにない可能性を追求することです。新しい取り組みをするには、じっとしていてはだめで、全然違う畑の人たちと交流し積み重ねることでチャンスが生まれます。3つ目は対話と協働です。市民との対話から新たな地域資源を掘り起こします。みなさん、いろんなことを考えていて、ヒントがあります。丁寧に掘り起こすと形になり地域の自信と誇りになります。

多彩な取り組みを紹介した都竹淳也・岐阜県飛騨市長
市長に就任以来、職員に常に前向きであれといっています。市民から、こういうことをやってはと言われたときに、市役所の人間は頭がいいですから、こういう点で難しいと頭で思います。そうではなく、面白いですねと必ず言ってみようといっています。面白いというと何とか実現しようと思考が回ります。できませんねというと、新しいことを考える気がなくなります。10考えたうち1つ望みがあれば、かけてみよう。めちゃめちゃポジティブとは、そういうことです。積み重ねていったときに、ポジティブ感、わくわく感が出てきます。
 いろんなことをやってきましたが、計画的に準備したものばかりではありません。役所は総合計画を作ります。首長の選挙で2期目の公約を聞かれ、総合計画の着実な実行という人がいますが、あれは嘘だと思っています。計画を着実に実行することは、それ以上進歩しないと同じですから。計画的に成長し財源配分する時代は、それで良かったんですが今は違います。どこでどういうチャンスが来るか分かりません。それに食いつくことが今の地方自治です。
▽「君の名は。」で地域の可能性広がる

 その中の一つは飛騨市が舞台になった映画「君の名は。」です。映画の舞台を訪ねる聖地巡礼がブームですが、飛騨市も公開から3年たった今も続いています。今年7月末で17万人余りが来ました。それにあわせて、いろんなことをしています。大きなチャンスをもたらしてくれました。
 よく取り上げられることが分かっていたのかと聞かれますが、分かっていませんでした。「君の名は。」は3年前の8月に公開されました。私たちが飛騨市の風景が出ていると知ったのは7月の全国一斉試写会の前でした。広告代理店から市の風景が出ているので、山手線車内に広告をという誘いがありました。今となれば大ヒット映画だから出せば良かったというでしょうが、当時はどんな映画か分からないし手書きコンテしかなく、見送りました。ただ、担当者には、どういう映画かウオッチしていてくれとお願いしました。映画会社の担当者から試写会があると知り富山まで見に行きました。いい映画だし、市もばっちり出ている。さあやろうと始めました。
 飛騨牛のキャラクターパネルやチラシを準備し8月の公開日を迎えました。そこから飛騨市は聖地だと流れ、一気に訪れる人が増えました。その後も、観光のモデルコースやクリアファイル、上映会や展覧会の交渉、ラッピングバスなどの展開を続けました。
 公開前のポスターでは、30代と20代の職員2人がすばらしい動きをしました。ネット上で聖地探しをしているのを知り、キーマンを突き止めました。普通なら、その人にメールを送って、うちが聖地だと伝えるのですが、彼らはしませんでした。あえて、自然に伝わるようにしました。ポスターを作って富山の映画館で写真を撮り「これって飛騨の古川じゃない」とコメントしてSNSで流したんです。そうすると「飛騨・古川ってどこ」と話題になり、公開前に飛騨市が聖地だと伝わりました。飛騨牛のキャラクターが出てくる映画の一場面が手に入りボードを作り公開と同時に展示すると、映画と同じだと写真を撮る人が出てきました。
 公開後、聖地巡礼の人が来ました。駅の跨線橋では、写真を撮りやすいようにと窓の転落防止用の柵の幅を広げました。バス停のシーンでは、今はない標識が出ていました。ロケハン後、路線が変わったためというので、朝の会議で標識を置いてみてはと話しました。担当局長は標識が倉庫にあるといい、昼前に置きましたとメールが来ました。そこで、フェイスブックで映画の場面の通りになったと紹介すると、何万リツィートもされ「飛騨市長、神対応」と話題になりました。
 市の図書館も映画に出てきます。訪れた人が入って来て写真を撮るんです。公立図書館ですから、撮っている人に遠慮してって言いますよね。うちの司書は写真を撮る人は許可申請をと張り紙をしました。許可といっても名札をかけるだけです。さらに、SNSに投稿する際は「飛騨市図書館来たよ」と記載してと書き、さらに図書館のツイッターもフォローしてねと加えました。「飛騨市図書館来たよ」というしおりまで配ったので、飛騨市図書館は神対応だと数十万件拡散しました。聖地巡礼に温かい街だと、どんどん人が来るようになりました。アクションを起こさなかったら、こんなに取り上げられなかったでしょう。地域発展のチャンスをつかんだのです。
 市民の対応も変わってきました。映画に出てくるバス停はクルマで20分かかり、公共交通網は不便です。帰りに困る人たちを市民が乗せるようになりました。バス停で自発的に雪かきをする人や、手作りマップを掲示する人も出てきました。市民とともにおもてなしをすることでポジティブ感が出てきます。これが1.1力です。メディア掲載を広告換算すると2億円を超えます。
 映画に出ると効果があると分かったので、ロケ誘致の取り組みを始めました。今までのロケ誘致は出た映画を、どう使うかを考えていませんでした。最初から使うことを考えれば違います。映画を使う権利を取り決めておくロケツーリズムを始めました。専門誌に取り上げてもらうよう連携したり、市民向けセミナーをしたりしています。市あげて取り組もうと、おもてなし隊もつくりました。製作者を招いてツアーをすると、ちょっとした路地や河原が撮影地になることがあり、何でもない場所が観光地に変わります。ロケツーリズムに熱心な首長との交流も始まり、連合する話も持ち上がっています。平成29年度のロケツーリズムアワードの最優秀賞も受けましたので、製作者が注目するようになるでしょう。
 「君の名は。」で聖地巡礼が始まり、市民とのコミュニティーが広がり、飛騨市のファンができました。さらに、ロケ誘致に発展させることで地域の可能性が一気に広がるということです。ふいに訪れるチャンスを、どうするかは腕次第です。
▽わらしべ長者こそ現代の施策

 飛騨市ファンが増えリピーターが多いことが分かり、ファンクラブを思いつきました。ファンを組織化しメールなどを送れるようになることが大きいです。2年で3500人を突破しました。楽天と提携し、会員証を電子マネーが使えるカードにしたいと提案しました。買い物して楽天のポイントがつき、使った額の0.1%を飛騨市へ寄付することもお願いしました。使うふるさと納税です。多くの自治体の会員証は送られてきても机の中に入れて終わり。使ってもらえる会員証にしてもらいたかったんです。毎日、会員証を見るからつながりも深くなります。名刺も100枚無料で送っています。これは、もらった人が市に来るとプレゼントがもらえる仕組みにしました。名刺は配った人の名前が分かります。配った名刺が30枚になると飛騨牛プレゼントとしました。これを究極のねずみ講と呼んでいます。既に3人ぐらい出ています。高山市や白川郷で、この後、飛騨に行くなら持って行ってと配っているというんです。隣の観光地を案内所にしていることになりますね。
 会員は47都道府県に広がりました。東京などで会合をしますが、飛騨市でやってという声がありました。交通費も宿泊代も自分持ちですが、20人以上集まるんです。特典として私の街案内を付けました。夜は地元民が大事にする焼き肉店を紹介すると大喜びです。祭りの行列に参加できる特典をつけると、自腹で来て片付けまでしていく人が出てきました。
 楽天と飛騨市、東京大学が社会的課題を解決するローカルイノベーションキャンプも行っています。テーマを決め解決方法を話し合うものです。昨年は有害鳥獣の対策を話し合いました。今年度は、ファンつまり関係人口に着目しています。市内のある地区を村に見立てて村民制度をつくり200人ほど参加しています。活動を通じて飛騨市に来る人の理由が分かります。とすれば、人を増やすには逆に仕掛ければいいわけです。さらに、地区で困っていることをメニュー化し、自分のペースで関わってもらうことを考えました。本年度は寂れた資料館の活性化などをメニューにし、来年度は増やしていく予定です。
 「君の名は。」が発展すると、こうなっていくわけです。わらしべ長者みたいな話です。これが今の地方の施策のやり方です。モデルがあるわけではありません。自分で何とかしようと考えていくと、こうなっていくのです。
 楽天との連携でふるさと納税も増え、今年は絶好調でここまで昨年度の3倍、7億円は超えるとみています。寄付の目的を選んでもらうこともできます。例えば、20年ほど開いている中学生のラグビー大会の支援を項目に入れると、関係者が呼び掛けてくれ、増えていきます。農産物の返礼品からはコメやトウモロコシなどに人気商品も生まれました。
 不意に来るチャンスはいっぱいあります。例えば、昨年はプロ野球ドラフト会議で中日に1位指名された根尾選手で大フィーバーしました。ご両親は市の診療所の医師です。盛り上げるためにパブリックビューイングをしました。テレビカメラ8台、記者もたくさん来て生中継が中部圏のテレビに流れました。何もしなかったら、取材には来たでしょうがコメントを取って終わりだったでしょう。バンザイした私が映って市長が一番喜んだといわれました。仕掛けることで通り過ぎていくものを捕まえることができます。 
令和の発表もそうでした。発表日直前に、新元号の文字を市出身の茂住修身さんが書かれるそうですというメールが来ました。職員が内閣府に確認したら間違いないといわれました。市長室に茂住さんの書がありました。その写真を撮りSNSに流すと、一気に取材が来ました。いろんな番組が来て無料のパブリシティーになりました。翌日朝、茂住さんの書の展覧会をしてはというメールが職員から来ました。市内には茂住さんの書がたくさんあるから見て回れるようにしたらと返信しました。その日の昼、マップができました。リリースすると取材がすぐ来ました。市長室の書は難しくてなかなか読めないんですが、職員はなんて書いてあるでしょうかとクイズにし、正解者にせんべいをプレゼントしますとやりました。結構、写真を来る人が来ました。これで令和の街、飛騨市になりました。後日、茂住さんは何と、市役所にプレゼント用に令和を書いて持ってきてくれました。訪れた人にはそれを持って写真を撮ってもらいました。
▽市民と地域資源を掘り起こす

 障がい者への支援にも力を入れています。児童精神科の医師は全国的に不足しています。岐阜県内は7人です。市長選挙前、看護師の方から飛騨市に帰って来たい医師がいると聞き、診療所を飛騨市単独で設置しました。オープンして1年半ですが、今春には初診待ちが8か月という事態になりました。それだけ必要とされているということです。
 飛騨牛繁殖・研修センターもそうです。飛騨牛は子牛が足らず北海道などから買っていますが、高くて経営を圧迫します。地元で育てられれば安くなり、100%飛騨産になります。しかし、牛舎建設の市負担は2億円といい、できないと思っていました。ところがある牛舎が倒産しました 

講座の進行をする伊藤祐三・前共同通信論説委員(左)
JAを通して購入し市と県が補助を入れるスキームを作り、非常に安くできました。何とかしなければと思っていたらピタッとはまったんです。やはり、関心を持って臨むということが大事です。
ノーベル賞受賞者を輩出したスーパーカミオカンデを科学の街につなげられないかと考えましたが、鉱山の地下1000メートルにあり入れません。そこで、東大と連携してカミオカラボを今年、飛騨市単独で作りました。施設を作るお金はないので、道の駅の売店を3億円かけて大改装しました。1億5000万円はいろんな会社に頭を下げ企業版ふるさと納税を集めました。残りは国の支援が認められる起債を使い、持ち出しは4000万円でした。これをすることでブランド化します。東大は研究所の名前を使った商売は認めてくれません。そこで、ふるさと納税で東大宇宙線研究所の支援を指定してもらうと1年で1300万円、2年で3210万円が集まりました。売り上げの一部を寄付する仕組みも入れ、グッズを販売しています。3月にオープンして先日、入場客は10万人を突破しました。
 飛騨市に多い広葉樹は薪やチップにしかならないといわれていました。渋谷にあるクリエーターの会社と森林資源の会社、市が合弁会社をつくり、古民家を改装してものづくりカフェやゲストハウスを設け、市有林の木材を商品にするプロジェクトを始めました。スツールや食器が、いい値段で売れています。薬草を生かしたまちづくりも進めています。NPO法人が取り組む鉄道の廃線を利用したレールバイクは、鉄道は市の所有で、力を入れています。市民の取り組みを市が背を押しています。45年程前につくられた立ち達磨の像があります。誰も顧みなかったのですが、地元の若い人が何とかならないと考え、どこを見ているかと調べたらニューヨークの自由の女神像だというんです。さらに調べると、自由の女神は背中を向けているといい、45年間、立ち達磨は片思いをしていたので思いを成就させるためにラブレターを出したいというんです。それは面白い、こういうことはまじめにやらないと動きました。名古屋の米国総領事館で自由の女神にラブレターを送る方法を尋ね、外務省を通じて送りました。チャーミングな提案ですがご期待に添えませんと返事が来ましたが、若者たちは7転び8起きだというんです。
私の名前でニューヨーク市長に親書も送りましたが、まだなしのつぶてです。恋文の短歌を募集したら1000首以上来ています。こうしたことが市民との対話による地域資源の作り方です。市が加わることによって大きくなります。

▽地方創生、補助金もらってやるものでない

チャンスはどこにでもあります。捕まえるかどうかです。長く秘書をした梶原元知事はアイデア知事といわれました。知事は長い間できないかなと思っていると、ちょっとした情報が吸い付けられるように頭にぴたぴたとひっつき、パズルの最後のピースがピタッとはまると進展するんだと話していました。私もそうだと実感しています。地域資源は、どこにでもあり、ちょっとひねりを加えるだけでとんでもない地域資源になります。報道され、人が来るとブランド化していきます。そして市民の1.1の力を生み出し、積み重なった時に街が一気に動き出していく。これが地方創生だと思っています。補助金をもらってやるのは地方創生ではないのです。考え抜いて、いろんな人と対話し、いろんな所へ出かけて付き合いをする中でチャンスが広がり、地域をつくっていくものだと思っています。
☆第5回11月26日(火)18時~20時「市民主導の街づくり」
☆第5回11月26日18時~20時「住民主導の街づくり」
 「駒ケ根の明日を語る会」(代表・伊藤祐三前共同通信論説委員)は「住民主導の街づくり」をテーマに地域づくり連続講座第5回を11月26日、駒ケ根駅前のアルパ3階多目的ホールで開きました。ゲストに、第7回地域再生大賞で大賞に輝いた「都岐沙羅(つきさら)パートナーズセンター」(新潟県村上市)の大滝聡理事が登場。行政頼みではなく、住民が自ら考え積極的に取り組んでいくことが必要と指摘。さまざまな実例を踏まえながら、地域社会の多くのプレーヤーが参加して幅広い活動を進めていくことの重要さを訴えました。
街づくりの成功のカギは理念を固めること
☆大滝聡・都岐沙羅パートナーズセンター理事(新潟県村上市)
ちょっと堅い話からさせてもらおうかと思います。公務の意味を正しく理解しようということです。私の思う街づくりのイメージのお話をしますので、皆さんと若干違ってくるかもしれません。
「私」という漢字は、禾(のぎ)へんがありますね。これをカタカナの「ム」のような字で抱えています。ムは腕の形です。禾へんは穀物など私有財産のことで、財産を腕で抱え込んだ姿を「私」というんだそうです。それに対して「公」は下に「ム」みたいな字がありますよね。抱え込んだ腕を八の字型に受け放つ、そういう姿です。ただ、漢字が大陸から渡ってきた時、日本人がこの字を残念ながら「おおやけ」と読んでしまうわけです。これが間違いということを僕は本で読みましたが、中国で「おおやけ」というと、大きな家とか大きなお宅の「宅」って書く方が多いそうです。天皇のような地域を総括する権力者のことです。それに公という字をあてはめちゃったんです。
参加者はグループに分かれて、大滝さんが投げかけたテーマを話し合った(11月26日アルパ)
公とつくものは強制が支配しています。支配するという言い方は大げさかもしれないけれど、そういう風に使っているわけです。例えば、市長の公用車というでしょ。公用車という言葉は英語にないので、外国人は誰でも自由に乗れる車のことだと思います。要するに公用車とは官用車です。公と官の意味がぐしゃぐしゃで、そこが間違いだと思っています。だから、官イコール公なのです。ど真ん中に行政がいないと、成り立たない仕組みです。

▽「公」と「官」を切り離して考えよう

民間人は税金を行政に納めて市民サービスを行政から得る形になるわけですけど、これだけ社会が高度化すると、行政が全てのサービスを担えないわけです。公園でけがをすると、行政の責任というが、それはおかしいということに気がつかなくてはいけない。都岐沙羅パートナーズセンターで考えた答えですが、これからは官と公を切り離して考えようということです。官は一つのセクターだと思っていただいた方がいいと思います。住民とかNPO、企業といったものと同じレベルで、行政をとらえた方がいいと思います。
じゃあ、公は何かということですが、共有財産だと思っています。住民は住民で様々な財産を持っていて、NPOも企業も持っています。人材や経験、情報、体力、場所、資金、ネットワーク、いろんなものがありますが、みんなで使ってもOKというものをテーブルの真ん中に出す。それが公だと思います。住民が出した体力を企業が使ってもいい、企業が出した知恵をNPOが使ってもいいんです。NPOが出したネットワークを行政が使ってもいいと思います。誰でも自由に使えるものがいっぱいあると暮らしやすくなります。分かりやすく言うと、銀行の駐車場は銀行のプライベートなもので、土曜、日曜に閉店するとチェーンで入らないようにしますよね。それでは、いつまでたってもプライベートはプライベートです。土日は店が閉まっているので開放すると、公、パブリックな空間に生まれ変わります。こういうものが、街の中にいろいろあると、とても暮らしやすくなります。公は誰でも使える共有財産であり、みんなでつくり育てるものと考えることが大切だと思います。
今度は、ざっくりした、地域経済のしくみです。戦前くらいのイメージで考えてみますと、自給自足の活動が地域にしっかりあって、地域で生産されたものは地域で消費できていたんですね。それを支えていたのが地域内の活動です。農業だったら、結いとか講とかがありますけれども、そういう助け合いですね。そのほかに市場経済で動く活動があった、山の集落の人が、海の魚を食べたいといっても、なかなか食べられない、分けてもらわないといけないので、わずかでも市場経済があったわけです。ただ、基本的には貨幣に頼らない社会構造だったわけです。現在どうなったかというと、市場経済で動く活動が画面からはみ出すくらい大きくなってしまって、自給自足の活動が減っていく。なぜかというと、お金が入るから。市場経済は幹線道路を見るとよく分かりますよね。今日、6時間くらいクルマで走ってきても、日本の幹線道路の風景はほとんど変わらないですね。大型店舗があったり、外食産業があったり。市場経済に毒されている、日本の姿だと思います。自給自足が小さくなると、助け合いの必要がなくなるんです。
街づくりについて話す大滝聡・都岐沙羅
パートナーズセンター理事 (11月26日、アルパ)
何でもお金で解決できるようになると、地域の力みたいなものが市場経済に吸い取られてしまったと考えてもいいと思います。家族や地域で担っていた機能を行政サービスに外部委託するようになった。これは依存社会です。例えば、防犯は警察に任せればいいとか、子どもの教育は学校に任せればいいとか、街づくりはみんな行政に任せればいい、そういう世界になってしまったわけです。

▽地域の茶の間とパブ

だから、これからの社会としては自給自足の活動と市場経済で動く活動とのバランスの問題ですよね。市場経済で取られていた力を取り戻す、自給自足の活動をもっと増やしていかないと、コミュニティーも崩壊していくわけです。街を、もともと持っている公有制のある姿に戻していくことが街づくりの原点だと思っています。お手本は沖縄の共同店だと思っています。明治2年からできたんです。昔は、やんばる船という大型商人が物資を積んで商売をするわけです。この人たちは結構、市場経済の典型的な例なんですね。対抗して地域が始めたのが共同店です。昔は200店以上あったと思うんですが、今も60店以上経営されていると思います。ポイントは共同出資、共同経営です。村よりも小さな区ごとに運営され、売り上げは地域へ還元される仕組みです。農協と生協、森林組合、漁業組合を合わせたようなお店だと思っていただいていいと思います。沖縄に行ったら、行ってみるといいと思います。利益は何に使われているかというと、一番最初の頃は住民の足となるバスの運行や奨学金、病気災害などの見舞金、助成事業をするんです。共同店舗によって違いますが、集落維持のために使われることは共通しています。災害時にも威力を発揮している。共同店は集落の共有財産です。公の姿、形を見せろと言われたら、僕は大体これをイメージします。
共同店の店長は選挙で選んでいるんです。村の組長選挙より店長選挙が格上です。店長に誰が就くかが村の人たちの最大の関心事なんです。青年団の人たちが、選管の役目をしています。候補者が一人ずつ出て話をし、投票へ進むんです。びっくりしたのは、不在者投票までやっているんです。似たものはイギリスやアイルランドにもありました。だいぶ古い時代からあったと思いますが、パブと言われるものです。パブというと水商売ですよね。飲み屋さんというイメージが多いと思うんですけど、パブはパブリックの略です。パブリックハウスを直訳すると、みんなの家です。共同店です。今は大規模なビアホールみたいな所が多いですけど、元々は家庭の一室を開放していました。職場から帰ってきた近所の人たちが集まって、お茶飲み話をする。私が得意なことを、あなたにしてあげられるという関係なんです。トースターが壊れたんだけど直してくれないといわれ、直してくれる。そんな風です。小さな困りごとが、こういう所で解決していくんです。こういう仕組みが大事です。こういうものを探しますといった地域情報も貼られています。これがパブの発祥です。
似ているのが地域の茶の間です。地域の茶の間って、こちらにもありますか。新潟県初のNPOで、全国で3000か所以上あります。誰でも自由に集まれる、パブみたいなものです。、高齢者が集ってわいわいやってるというイメージが多いのですが、カギっ子の子どもたちや悩めるお母さんたち、誰が来ても自由に自分の家の茶の間のようにしていられる場所なんですね。こんな風に地域は家庭の役割を担っていかなくてはならない。昔は三世帯、四世帯が当たり前に暮らしてたわけですよね。核家族化していくと、子どもさんの悩みは、お父さんお母さんでは答えられないんです。家庭内で問題が解決しないんです。食文化も昔は、大規模な家族で大皿がありました。料理は一人用の小皿で作るより、たくさん作った方がおいしいわけですよ。そういうのが日本文化なんです。小分けになって、家に帰ったら、みんな自分の部屋に入ってしまう、茶の間の意味がほとんどないという状況なんです。これからは地域の中で、ここを茶の間やゲストハウス、コミュニティーレストランにしようという動きが出ています。地域が一つの家みたいな感覚でいるというのが大事だと思います。
地域の力を見直す。ちょっと固そうですが、経済をかじった方はピンと来ると思います。上半分をいわゆる経済社会、企業社会って言った方がいいかもしれませんが、下半分を地域社会とします。子どもが産まれて15歳になると、下から上に行くわけです。15歳は義務教育が終わる年で、生産年齢に達するわけです。65歳、70歳かもしれませんが、定年になると地域に帰ってくるわけです。日本経済は、政府もそうですけど、経済社会を何とかしようと思っているわけです。けれども、ここだけの人で全部を養うのは無理だという状況に気づかないといけないんですが、上半分(経済社会)はいわば人生の花形であり、下半分(地域社会)は負け組だったんです。そういう感覚です。地方の人が早く東京に行きたいというような感覚です。でも(地域社会に)いる人たちの力をもっと信用していこうよというのが、必要かなと思っています。おばあさんが18歳で嫁に来て、80歳まで料理を作り続けているとしたら、一食当たりいくらで計算するかということはしてなかったじゃないですか。このおばあさんの価値を考えてなかったんです。私たちはこういう人たちのおかげで、仕事ができてるんです。だから、こういう活動をちゃんと評価してあげると、これ自体が社会資本になっていくんだろうと思います。

▽現状から始める街づくりは成功しない

いろんな街に呼ばれて、街づくりがうまくいかない共通の原因に気づきました。一つは理念がないことです。理念は何ですかときかれて、ほとんどの人が答えられないんです。こういう街では。それから、もう一つは依存体質になっている。行政や補助金に頼りきりで、自立した活動をしようとしていない。みんな行政がやるもんだと思っている。三つ目は未来の姿が見えていない。あるいは共有されてない。こういう共通点があると思います。
理念の話をさせていただきたいと思います。つい2週間くらい前、福島県で行った時のワークショップです。関係者全員がこうしたいという思いを出し合い、統合していく作業が必要になるわけですが、その時、私が投げかけたのは、この街をどんな街にしたいですかって聞いたんです。30人くらいでしたが、80歳代半ばくらいのおばあさんが「ヤギ飼いたい」「山を歩きたい」「ニワトリを飼いたい」「犬を飼いたい」と書きました。問いと外れているように思うじゃないですか。そのグループに高校生がいて、おばあさんが書いたんですが、どうまとめたらいいですかと聞いてきました。それで、私がおばあさんから話を聞きました。昔、ヤギやニワトリ、犬を飼っていたというので、そうか、昔のような生活を取り戻したいということですかといったら、笑顔になって「そうそう。そうなのよ」という話になりました。で、すかさず高校生が、昔のような生活を楽しく取り戻したいと書きました。こうなると、理念データになるわけです。ヤギを飼いたいだけでは理念データにはならない。間に入る人は、こういうことをするんです。そうしないと「ヤギを飼いたい」が理念につながらないんです。
理念を作る三つの意味を考えました。何のために事業を行うかを明確にし、困難に陥った時にいつでも立ち戻ることができるというのが一つ。先がどこに行くのかが見えていれば、この道がダメでも、こう沿って行けばというのが分かる。行き先が分からない状況だと路頭に迷うんです。二つ目は事業に携わる人が自律的に行動でき、強い組織を作ることができます。理念に沿った形で判断できるので、必然と組織自体が強くなります。三つ目は、社会全体に事業の価値を伝えることで、信頼を得ることができます。理念では飯を食えないという人がいますけど、理念で飯を食わなきゃダメなんです。理念を掲げているから、お金も人も集まる。そういう状況にしないといけないんです。それが都岐沙羅パートナーズセンターの理念です。こうした理念づくりには1年近くかかりました。
もう一つやっている、NPO法人街づくり学校というのがあります。今年20周年になるりますが、キャッチフレーズは「街をつくる人をつくる」。街をつくるで切って、人をつくるでもいいんですけど、どちらかというと、街をつくる人をつくるです。考えるには技術が必要です。ぼーっと考えているのは、考えているうちに入りません。システマチックにやらなきゃいけない、最初は理念づくりです。どっちに向かうのかを先に決めないといけないんです。街づくりは、みんな現状から始めるんです。現状の悪いところはどこかという話から始めるのではうまくいかない。未来の視点から現状を見るのが大事です。現状には気になる現状とちょっと好ましい現状と二つありますが、好ましい現状を伸ばして可能になる未来と、気になる現状をほったらかしにしておく未来との両極の未来が描けるんです。では、何年後かと言われるんですけど、だいたい、想像ができる程度の未来ですので、僕は、3年とか5年後の未来のイメージで、いつも考えています。この視点で、このギャップを感じていただくのが大事だと思います。放っておくと、こうなっちゃう、駒ケ根って5年経ったらこうなっちゃうねっていう姿が、皆さんの中にあるかどうか。5年みんな頑張るから、これくらいのことは出来るねっていう姿が描かれているかどうかが重要です。どうしても下がってしまう要因があるはずですが、それを探すのはこの次です。それが分かれば、初めて方針と対策を打ち立てて、手順を考えて完成というシナリオです。
これまでとこれからの街づくりの簡単な歴史をつくってきました。一番最初は街づくりなんて言葉は無かったんですが、70年代後半くらいから兆しが出ていると思います。公害やマンション開発などで住民運動が高まって来た頃です。そこから都市計画に住民参加が始まる。80年代後半くらいからだと思います。この頃、街づくりという言葉が出てくるんですけど、この頃の街づくりは100%都市計画です。30代、40代くらいの男性が集まって、地図を広げて、ここを何色にしましょうかという感じでやっていたというのがこの頃のイメージです。行政の事業に住民が参加させてもらったということです。住民参加がなぜ広がったかというと、ワークショップの手法が入ってきたからです。その後、住民主体の街づくりが盛んになってきます。90年代後半くらいです。この頃、NPO法人が誕生するんです。1998年に特定非営利活動法が成立し、一斉に法人化して活動するようになり、平和な街づくりが増えるわけです。観光や福祉のまちづくりが盛んになっていきます。いわゆる自立性が問われて住民事業へと移行していくのが、2000年くらいからです。
この辺りの街づくりは、まだボランティアの世界で、ほとんど利益を生まない状況です。それはちょっとまずいんじゃないかというのが私たちの活動で、自分たちで稼ぐ団体をつくらないと継続できないという話になってきた。コミュニティビジネスやソーシャルビジネスが普及していくわけです。阪神淡路大震災がきっかけとなり、2011年の東日本大震災がありました。住民活動で必要としたのは資金です。活動資金をどう稼ぐかということです。大震災以降は、お金より人だということになって、支援者の必要性もある。地域おこし協力隊など、いろんなものが、各省庁から出てくるわけです。
今は人口減少が進む地域の存続をかけ、自治のあり方が問われています。コミュニティ機能が低下し様々な問題が出ています。全国で問題になってるのは空き家ですね。働き口とか、商店、スーパーの閉鎖とか、虫害、そういうものも多いです。駒ケ根市の人口構成を調べてきました。1990年と2045年は全くさかさまにしたような感じです。各地もほぼ一緒です。これまでの20年とこれからの20年は全く違うものと思っていただいていいんです。街づくりの流れを言いましたけど、あんな感じで推移しません。もっと極端に落ち込んでいくので、今までできていたことができなくなります。当たり前のような地域コミュニティ活動ができなくなります。
村上市の一番山奥で、20年前からお付き合いしている集落なんですけど、170戸で人口700人くらい。すごいのは山林が一万ヘクタール近くあり、林業で生計を立てて来た集落です。この人たちが20年前、相談に来られてフロンティアクラブをつくり、やる気満々だが、どうしたらいいか分からないという話でした。私が7回くらいのワークショップをやって計画を作りました。廃校を拠点にしたいという話があり食堂にしました。やることさえ決まったら、がんがんやる人達だったんです。山の上にあった牧場の跡地を開放し、ひまわり畑や観光農園というのを作っています。5つくらいの話が出て、新潟県ではトップランナーです。3年前から青年団が何かやりたいというので、自分たちで組織をつくれと、ノウハウを全部与えて一般社団法人をつくったんです。空き家を雪降ろししたり、お風呂を掃除したりして、ここを拠点に街づくりを始めました。初めは子どもの夏休み中に勉強を見てあげたりしていました。普段は地域の茶の間として活動します。冬、雪がすごく降る日でも、おばあさんは外に出る機会になる。健康的にも重要です。居酒屋もやることになりました。一番に言い出したのは、子育て中のお母さんたちです。この集落は市街地までクルマで30~40分かかる。そこで飲んでタクシーで帰ると6千~7千円はかかるわけです。地域で飲める場所をという話になったわけです。当日は気合を入れて若い連中が蝶ネクタイをし、シェフもいましたので立派なメニューができました。昼は中庭に椅子を出してガーデンテラス。夜は大にぎわいです。ちょっと味をしめたんです。
去年の秋、公民館をジャズバーに変身させようということになりました。本気になってやると、ばかばかしさも拍手ものだと思ってみてました。ちゃんとアプローチをつくり神棚などは隠して、バーらしく変身させた。お酒も買ってきたビールじゃなくて、地元食材を使ったお酒にということで、山ぶどうや栃の実を使ってオリジナルのカクテルを作ったわけです。これは商品開発につながります。
クリスマスではカードを作って、サンタクロースに扮した若者が配りました。子どもはもちろん喜んでくれるんだけども、一番喜んでくれるのは一人暮らしのお年寄りです。涙を流してくれた人もいました。渡すプレゼントは、彼らの中にプロ級にうまいカメラマンが撮った写真を使ったカレンダーです。集落の行事も書かれています。せっかく配るなら集落の点検も一緒にやらないかと話をしました。誰がどんな状況で暮らしているかをチェックするようにしました。でも、最初から見守り作業をやりませんかと言ったら、絶対にやらない。サンタクロースをやろうと言ったら、やりますよ。これがポイントかな。
参加者と話す代表の伊藤祐三・前共同通信論説委員
(11月26日 アルパ)
街づくりに必要な人材についてまとめました。圧倒的に足りないのが街づくりプレヤーです。現場で働く人、中心になって働く人をつくっていかなくてはならない。それだけでは成り立たなくて、街づくりコーディネーターです。事業計画を作成しコーディネートする人がいなければならないんです。今まで街づくりコンサルタントがやっていたんです。しかし、風のようにいなくなる人ではなく地域の人がやっていかなくてはならない。街づくりプロデューサーも必要。ゼロから構想し資金調達を含めて事業化する人がいないと成り立たないと実感しています。今は資金調達だって難しくない、民間だけでもやろうと思えばできる仕組みがいっぱいあります。プロデューサーは誰がやっていたかというと、ほとんど国から予算を引っ張ってきて、事業化していたのが行政だったんです。だから、言い方は悪いんですが、行政のいいなりで事業が進んでいく。これはもう、市民レベルでやっていかないと。地域を動かすのは個人でなくてチームだということ。
最後です。今さらですが、ブータン。国王がおっしゃっていましたが、この国は国土は日本の20分の1しかないんですが、国民の95%が幸せだと感じている国です。先進国は何が基準かというと経済力です。ただ、経済力が高いと幸せを感じているかどうかというと、そんなことはない。日本人だって95%が幸せだとは思っていない。国王によると、幸せになる条件は3つ。一つは欲望を抑制すること、なかなかできませんが。もう一つは、先の話のように自給の精神だと思います。もう一つは自立するための誇りを持ってください。ということを国会で話していました。我々もそういうふうに変えていかなくてはいけないのかと思っています。
☆第6回12月16日(月)18時~20時「交流人口を増やす」
「駒ケ根の明日を語る会」(代表・伊藤祐三前共同通信論説委員)は「等身大で行う地域づくり」をテーマに地域づくり連続講座第6回を12月16日、駒ケ根駅前のアルパ3階多目的ホールで開きました。ゲストにタレントで、代表の伊藤とともに「地域再生大賞」の選考委員を務めた大桃美代子さんが登場。中越地震で実家が被災し復興のために古代米づくりに取り組んできた体験や、選考委員として見て来た各地の地域づくりの取り組みを紹介。地域の資源をさまざまな角度から見直し、磨くことの大切さを訴えました。

☆大桃美代子さん
新潟の食糧農業大学で客員教授をさせていただいたりしています。(代表の)伊藤祐三さんと一緒にお仕事をさせていただきました中で、地域おこしの現場を見させていただきました。そこで感じたこと、見たことの事例をご紹介させていただきます。私の地域づくりの話は難しくはありません。リラックスして聞いていだきたいです。

大桃美代子さんの講演に多くの方が熱心に耳を傾けた
(12月16日、アルパで)
地域活性化ということで、いろいろな所に行って、地域の話を聞いています。なぜこういうことになったのかというと、祐三さんと知り合いになり、47都道府県の地方新聞社と共同通信社が地域で頑張っている団体を表彰する「地域再生大賞」の選考委員として視察に行きまして、お話を聞いて地域起こしを見させていただく仕事を始めて10年になりました。地域おこしを頑張っている人達は、この中にもいるかと思いますが、もうやめようかな、つらいなあと思ったことは何度もあるんです。その取り組みが素晴らしいと賞を贈ったり、受賞された人と話したりすると、頑張ろうかなと力が湧いてくるのです。
大賞の賞金は100万円です。各新聞社が推薦し、いろいろな団体が受賞しました。空き家対策や少子高齢化への対応など様々でした。阪神淡路大震災の時に外国人の方に情報が届きにくかったことを教訓に、外国人が病院に行った時に状況を伝えるために、通信を使って遠隔で通訳をする活動や、多言語でパンフレットを作っている団体もありました。これから日本がいろんな外国人を受け入れる時にどんなことが必要になるのかを考えると、良いモデルケースになると思います。受賞団体の活動は、日本の問題の縮図のように思えます。
▽被災し壊れていく古里にがく然
なぜ、この賞に関わるようになったのかというと、中越地震がきっかけです。2004年10月、出身の新潟県魚沼市などで起きた大きな地震でした。当時、月曜から金曜まで朝のテレビ番組をやり、午後は違うテレビ局で働き、土曜、日曜は地方でシンポジウムや講演会をしていました。その日は土曜で新潟にいて大きな揺れを受けました。そして、地域が壊れていく姿にがく然としました。今までは自分の故郷は変わらないもので、いやされるなあと思っていました。この地震で自分の中の物差しというのか、アイデンティティーが壊れてしまったように感じ、これからどうなるのだろうかと混乱しました。東京に帰っても地震のニュースは何度も取り上げられていましたが、3か月たち、半年たち、一年たつと余り話題に上らなくなりました。これは地元で頑張らないとだめだと思ったんです。地元の復興って何だろうと考えたんです。思いついたのがお米づくりです。実家は兼業農家です。始めたら、物づくりは大変だなと思いました。私のおコメは黒い古代米なので、白いおコメと混ぜて炊くとピンク色になります。お赤飯のようになると言われています。雑誌にも紹介され、購入することもできます。そんなに高くないです。食物繊維も入っていて、とてもおいしいおコメです。
黒いおコメは大変だったんです。どこが大変かというと、この中におコメつくりをしている方はいっらしゃいますか。意外といないんですね。白いおコメに黒いおコメが混じると等級が下がります。黒いおコメを作るっていったら、周りが大反対なんです。反対されて、一人で始めるしかないと思いました。トラクターや田植え機、草刈機、コンバイン、乾燥機まで使わなくてはならず、車庫も必要になったんです。それやこれやで、始めるだけで1000万円以上の出費になりました。今でも大赤字ですけど、子供たちや協力してくれる方もいて、やめるわけには行かないんです。今は新潟に移し、農業法人に管理をしていただいています。新幹線で通って自分でやってみたんですが、余りに大変でした。でも「いいなあ」と思ったのは、東京のテレビ局で晴れか雨か、寒かったのか暑かったのかわからない状態で仕事をしていても、新幹線を降りた瞬間に寒いとか、においを感じるんですね。「ああ、帰ってきた」と。ずっと東京人間だと思っていたんですけどね。やっぱり地域の土に触ると安心感につながるなあと思いました。
やってるうちに地域のことを少し知ることができました。この活動を義捐金にしたいということで始め、今は子供たちの食育につなげ、今年で10年になります。東日本大震災が起き、福島県のある小さな町から「大桃さん、中越地震の復興の経験を生かし力を貸してください」と言われたんです。小学校や行政、地元グループと一緒におコメを作っています。値段を上げるには安全性を上げることだと考え、カブトエビを使った農法をやろうということになったんです。カブトエビは雑草を食べてくれるので無農薬栽培ができるはずと始めたんですよ。ただ、うまくいっていません。なぜかというと、カブトエビの天敵はカエル。カブトエビが育つ前にオタマジャクシがカエルになって、カブトエビの子どもを食べちゃうんです。でも、あきらめません。私たちが卵をまいていないのに、カブトエビがたくさんいる田んぼがあるんです。その土を持ってきて一緒にやってみようということになったんてす。あきらめなければ失敗ではないという言葉がありますが、続けることが成功への過程だと信じてやっています。もし、どこかで、このコメを目にしたら、あの農法がここまできたかと思っていただけたらと思います。
▽10年、20年のスパンで地域おこしを
さて、地域起こしの実例をご紹介したいと思います。沖縄の島ですが、増えて来た空き家をイノベーションし一棟貸しをしています。1泊15000円という値段ですが、ファミリーやお友達と8人位で泊まれますので、割安です。ご飯はどうするかというと、折角ですから沖縄の料理を食べたいですよね。

さまざまな角度から地域資源を見直すことが大事だと話す大桃美代子さん(12月16日、アルパで)
「郷土料理を」と言うと、「わかりました。一人2500円です」と、おばあたちが料理を作ってくれるんです。豚肉料理やチャンプルー、漬物などが出てきます。「沖縄の気分を味わったら」というと手踊りもありますし、太鼓や三線などもあり、沖縄気分満載なんですね。地域の方が演奏するとバイト代になります。すごく印象的だったのが「島起こしは島残しだ」という言葉でした。今あるものを使って、もっと魅力的に見せる。多くの人に知ってもらう。それが島起こしなんだ。これはすごく重要だと思いました。
そして、もう一つは有名なんですけど、徳島県の上勝町。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、葉っぱビジネスで有名な所です。日本料理では、天ぷらにモミジの葉をつけたり、柿の葉にお豆腐が乗せたりと、きれいな飾り付けをしますけど、そうしたつまものを販売している会社です。発案者は元の農協職員で、お料理を食べている時に、これはいいビジネスになるのではないかと思いついたんです。
農家に「葉っぱビジネスを始めてみないか」と言った時は、すごく怪しまれて「葉っぱを売ってお金にするなんて、おれたちはタヌキじゃない」と言われてしまいました。
そこで「葉っぱを売って、ハワイに行こう」というキャッチフレーズをつけたんです。葉っぱというと、山にある葉っぱを思い浮かべるかもしれません。でも、売り物にするには大変です。赤い葉ごとに10枚とか20枚を一箱にしたり、ハの字型にきれいに並べたりするんです。注文システムもすごいんです。ある料亭が3日後に100人の大きな宴会があり、同じ種類で大きさも同じ葉が100枚欲しいという注文が来ます。同じものを同じように出さなくてはいけない。それができると一枚15円の葉が40円になります。こうした取引をパソコンで伝え、70代位の女性たちが使いこなしているんですよ。注文が入ったら、早押しでみなさんどんどん取っていきます。仕分けし計量し詰めていくんです。葉っぱビジネスは結構稼ぐと聞いていますが、おばあちゃんが年間100万円取れたらうれしいですよね。子どもに小遣いをあげられます。1500万円も稼いでいる人もいます。なぜ、こんなことができるのでしょうか。畑があるからです。見せてらいましたが、階段がついているんです。階段からすぐ葉っぱが取れるようになっていて、高さを決めてあるんです。それだけではなくて、青い葉っぱ、赤い葉っぱ、黄色の葉っぱとそろえているんです。ハウスで作っている人もいて、盗りやすい高さに合わせています。色を変えるために木に布団を巻き温めて、何種類もの葉っぱを出す方もいました。でもそれだけでは1500万円は行きません、自分ひとりではだめだ。もっと稼ごうと思った時、隣家のおばあちゃんを雇用したんです。仲間を増やすことで1500万円になったんです。一人7万円位の料亭にも勉強のためにみんなで行くと言っていました。
上勝町は、もう一つ有名なシンボルがあります。ゴミゼロステーションです。焼却場を作らないで、みんなで選別することを選んだんです。47種類に分別するんですが、どうやってやるのかと、視察がすごく増えたんです。葉っぱビジネスとゴミゼロステーションの視察で毎日3台以上のバスが来て、視察受け入れがビジネスとして成り立つようになりました。泊まる所が必要だということで、健康センターが使われ、若い人の雇用の場ができました。おしゃれなお店もできました。駒ヶ根に来て思ったんですが、おしゃれなお店がないんです。おしゃれな店の周りにはカフェができるようになりました。視察を受け入れていたら、会社の研修も舞い込みました。おばあちゃんと研修すると、みんな優しくなるんですね。学生のインターンも受け入れて。研修ビジネスはなかなかすごいんですよ。こうしてビジネスがどんどん違う展開になっていった。葉っぱのようなスターが生まれると、地域の認知が高まると広がりが生まれてくるんですね。
駒ヶ根でもできると思う方がいらっしゃるかもしれませんが、ただ、このビジネスは時間がかかってます。木は育てるのが大変です。ビジネス化するのに30年かかります。地域おこしは1年、2年ではできないです。10年スパン、20年スパンで、やっと一つの街ができる。それが大きな力になるものだなと思います。
もう一つ紹介したいのが、愛媛県の中島です。この講座で、団体の代表の田中佑樹さんが駒ケ根で講演しましたので、ちょっとだけ紹介しますね。中島はミカンの島です。ちょっと衰退してきていますが、田中さんは東京に住んでいたんですが、お子さんをきれいな空気の所で育てたいと中島に行かれました。SNSで「今日はこんなタイが釣れました」などと発信していると、若い人たちが「楽しそう」と移住してきたというんです。5年で50人以上の移住者がやって来ました。最近では高齢のカップルも来るようになったんです。

ゲストの大桃美代子さんを紹介する代表の伊藤祐三・前共同通信論説委員(左)=12月16日、アルパ
今問題になったのがイノシシです。ミカンを食べて木をダメにしてしまうといい、撃ったりわなをかけたりするために若い人たちが必要なんです。イノシシをジビエ化して肉を売る事業をやるといっていました。中島で感じたことですが、生きにくさを感じている若者というのは、都会にいっぱいいますよね。受け入れてもらえる居場所づくりをすれば、その人達の移住につながっていく。中島には職もあるというんです。ハローワークに乗らないような、細かな仕事でも意外とお金になるそうです。若い人の力が求められていて、介護や家を片づけるとかで暮らしていけるんですよ
町ゼミってご存知ですか。例えば金物屋さんだったら、刃物の研ぎ方を教えますという講座をほぼ無料で行い店のファンになってもらう。ファンづくりのための商店街の活動ですが、30%位はリピーターでまた来るんです。店主と知り合いになって通ううちに、ここで買おうということになります。物があふれているので誰から買うかが重要になってきます。包丁を買うなら、あの人からということにならないと、商店街は生きていけませんよということです。
▽地域の魅力をどう伝えるかが課題

新潟市の沼垂という商店街の活性化で準大賞になった例もあります。おしゃれなお店もありますが、錆びたシャッターがいっぱいある場所に、週末若者たちがやって来ます。この景色が、若い人たちには昭和レトロだというんです。写真を撮るといい感じになり、インスタから火がついて、大人気になっているんです。お店も個性的で、姉と弟2人が市場の倉庫みたいな所を買い取って、どんなお店を入れるかを自分たちで決めているんです。トンボ玉を作る所だとか面白いお店が多いんですね。
今日私、駒ヶ岳へロープウエーで行きました。素晴らしいですね、景色が。千畳敷カールを見て感心したんですけど、これはスイスだなと思ったんです。スイスに行った時、本当にこんな感じでした。カフェがあって素敵だなと思いました。ソースかつ丼も食べましたが、ボリュームがあっておいしかったです。いい例がありました。星野リゾートトマムをご存知でしょうか。星野リゾートが復活させした。何が良かったかというと雲海です。雲海が人を呼んだということなんです。冬はスキーで人が来ますが、夏は来ない。メンテナンスの人が「この雲海を皆さんに見せたいな」という一言がきっかけになって、雲海ツアーに火がついて、朝5時からバスが大行列。6月ですけど、上はすごく寒いんです。雲海が見られなくても見た気持ちになれるように、青いソーダに綿菓子が乗っかっている雲海ジュースもあります。雲海の朝食もあります。おかゆにドライアイスのような湯気を掛けるんです。その湯気が雲海に見立てるというんですね。
星野リゾートのすごい所は毎週、魅力会議をやるんです。会議して、うちの魅力はこれですというんです。どうですか、こちらの魅力はなんですか、皆さん、こちらの魅力を私に教えてください。なんにもないではないでしょう。よく見てください。駅があるではないですか。これだけでも素晴らしいですよ。これは資産なんだ、財産なんだと思って、考えてください。てっぺんをみるのではなくて、暮らしを見ましょう。今日、ロープウエイを登ってわくわくしましたけど、同じようなことできると思います。星野リゾートより景色はいいです。だってあんなにきれいなんですもの。どうしたら伝えたらいいのか、魅力を磨くとはそういうようなことなんです。いろんな角度から「これが魅力なんです」というのを、みんなで持ち上げるのが魅力を磨くことです。活動してきた祐三さんなので、色々なことをご存じだと思います。ぜひ、この街で、そしてこの街がどんどん素敵になることを期待しています。
伊藤ゆうぞう後援会
駒ヶ根市赤穂8777-28 MAIL:info@itoyuzo.com

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